2026年10月20日(ネパール暦2083年7月カルティーク3日)火曜日
ダサインは、山羊たちには大変な日々になっています。
新聞には、「食べ物といけにえの動物たち」として、次のように書かれていました。
「ダサインには、いけにえの動物たちが欠かせない。アスタミ、ナワミの日には、カトマンズのハヌマンドカをはじめとする女神ドゥルガを祀る寺々で、ヤギ、バファロー、ブタ、ニワトリ、アヒルなどがいけにえとして捧げられる。また、マハ・アスタミの日には、家庭でも行う。ダサインには、肉を飽食するが、それは祭りと深い関係がある。肉を食べるのは、普段の菜食中心の生活から見て、贅沢なことなのである。」
ただ、今はヤギやバフ(バファロー)も、毎日売られていますし、人々が買う姿を見ていますので、こうした習慣も変わりつつあるのかもしれません。
私でさえも、カシ(食用に去勢したヤギ)はダサインには欠かせない食べ物となっていることは知っています。
たくさんのヤギが、カトマンズに向かって歩いてくる写真も見ています。
トラックで運ばれるのではなく、自分の足で歩いてくる!ことに感動しました。
そして、調理したカシを、見るからに丈夫そうな歯で、次から次へと食べるネパール人も見ています。
ちょっと硬くて、においが強い、というのが私の感想です。
さっき、家主の奥さんが、ネパールのご飯作るから食べてね、と言ってくれたのですが、
カシはちょっと食べられない、と私は言ったのですが、圧力鍋を使うから硬さもにおいもなくなるよ、
と言われ、二切れだけいただくことになりました。
大丈夫かな・・・食べられるかな・・・と心配しています。
だいぶ前のことですが、ダサインの感想を聞かれた女性が、テレビで「カシをたくさん食べました」と、
うれしそうに答えていたことを、ダサインになると決まって思い出します。
食べ物も含めたダサインが人たちにもたらす幸せは、ネパールの人たちには欠かせない、大きくて、大事な日々なのかもしれません。

(朝10時の山。てっぺんが見えません‐明日はこんなことになりませんように)

(実際の空は、もう少し軽いブルーです・・・)
明日は、一番きれいな空になりますように。
2026年10月19日(ネパール暦2083年7月カルティーク2日)月曜日
今日は、モーター類にプジャをする日のようで、
向かいの家でも家族全員で、車にプジャをしていました。
今日は、道路へ出れば、プジャをした車を見かけるはずです。
新聞社もいよいよダサイン休暇に入ります。
今朝の新聞に載った、新聞社のお知らせと挨拶です。
今年は、いつもより長めの休暇のようです。
よいダサイン休暇でありますように。

2026年10月18日(ネパール暦2083年7月カルティーク1日)日曜日
ネパール7番目の月は、カルティークと言われる月です。
日本の今日から11月16日までの30日間です。
今年のカルティークは、ご覧の通り、30日のほとんどといっていいほど赤くなっています。
ダサインから次の祭りティハールまでが、1ヵ月の暦にすっぽりと入っています。
近所の私がよく行くレストランも、今日からダサイン休暇に入ります。
普段と変わらない時間を送っていると思っていても、なんとなく心が騒ぎ始める、日々になってきました。

2026年10月17日(ネパール暦2083年6月31日)土曜日
ダサインは、「ビジャヤ ダサミ」と言われるティカの日に向けて、そこまでの行事などを続けていくのですが、
人たちが待っているのは、そのティカの日で、
一族の長老から受けるティカを皮切りに、
家族、兄弟同士でもティカをしあい、ごちそうを食べて喜び合う日、と私には映ります。
日々の暮らしにおいて、ことあるごとにティカをするネパールですが、
このダサインのティカが一番うれしいティカのようです。
というのは、「今年はティカがないんだよ」と、寂しそうに話す人が、私の周りにも毎年います。
今年は、いつもよりそうした人たちが多いのかな・・・
この1年間に、父や母など、身内を亡くした人は、ティカをもらえないという決まりがあり、
そうした人たちにとっては、たまらなく寂しい思いをすることになるようです。
私は、そうした人たちの声を聞いて、
ネパールの人たちにとって、ダサインのティカがどれほど大きな、大事なものなのかを改めて知ることになります。
そのティカですが、今日を入れて五日目がその日です。
2026年10月16日(ネパール暦2083年6月30日)金曜日
暦の上では、明日から9連休です。
とはいっても、今日までの様子を見ても、もうだいぶダサイン休暇になっているようには思えますが。
玄関先の掃除をするにも、今までのそれとは違う気合の入れ方を感じました。
やはり、ダサインだからなのでしょう。
私も、子供のころから、暮れに念を入れて掃除をする父や母、祖母を見ていますので、
その時の様子と、ネパールのダサイン前の掃除に、どことない共通点を感じます。
人たちの心の持ち方に、似通ったものがあります。
年に一回、隅々まで掃除をする、からでしょうか。
人たちに、普段とは違う気持ちを起こさせ、改まった気持ちの日を迎える準備を促すことは、人たちにとってもいい習慣と思います。
今朝は、白い雲はありますが、いい天気です。
2026年10月15日(ネパール暦2083年6月29日)木曜日
いくつものバッグを持つ人や、大きなバッグと一緒にバスを待つ人を見かけます。
お土産を詰め込んだバッグと一緒に、家族が待つ故郷へ向かう人・・・のように見えます。
「帰省と年1回の移動ラッシュ」と題して、かつて新聞で、
「仕事や勉強、またはより良い収入を求めて先祖の家を離れた人々が、ダサインには自国ネパールや村に戻る。ほとんどは海外出稼ぎ労働者として、ガルフ諸国や、マレーシアなどで働いている外国で暮らすたくさんのネパール人が自国ネパールや村に戻る。3百万人がカトマンズを離れて故郷に帰り、首都は空っぽになる。祭りは、都会や外国に出稼ぎに行く人々が増えて寂しくなった村を活気づける。年1回の移動ラッシュは、飛行機代やバス代を高騰させる。チケットの値段が急上昇し、移動者は毎年長い列に並び、ダフ屋が登場する。」と、ダサインを紹介していました。
私は、新聞に載る写真などで、その様子を知るだけですが、以前に訪れたバスパークの混みあいに入って、ダサインを感じてみたいです。
今はまだシャッターを下ろした店は少ないですが、今週の土曜日くらいから空いている店を探すのが大変!な様子になるのでは・・・
今日もいい天気。
2026年10月14日(ネパール暦2083年6月28日)水曜日
私が暮らす家のすぐ近くに、小さな田んぼがありますが、

気づくと、「実るほど・・・」の状態になっていました。

今は、皆、ダサインに気を取られていますので、早ければダサインの後、ティハールとの合間に刈り入れがされるのでは、と思います。
暦を見ると、ダサインからティハールまでには、2週間ほどあります。
新米を待つ気持ちは私にもありますので、店に並ぶのを心待ちにしているのです。
今日もきれいな空です。

(朝7時過ぎの空。太陽が出始めているようです。夏の間は、もっと山のてっぺんに近いところから昇りますが、季節とともに右に寄っていきますので、朝の太陽を見ることはできず、光を見て、朝の太陽を知る日々です。)
2026年10月13日(ネパール暦2083年6月27日)火曜日
人々の動きは、目にわかるものはありませんが、それでも、一日一日とダサインが目の前に迫っていることは、私にもわかります。
庭に水を撒いてきれいにする家を見ても、そう感じます。
今日も昨日と同じく、天気に恵まれた、いい一日でありますように・・・
2026年10月12日(ネパール暦2083年6月26日)月曜日
ダサインの10項目を、昨日のブログに書きましたが、その9番目にある「ジャマラとティカ」について、書きます。
「ジャマラは、ダサインに欠かせない大事なものである。宗教的な伝統として、Ghatasthapanaの日、人々は川から砂を運び、小麦、とうもろこし、大麦の種を蒔く。女神ドゥルガの祭壇の横に蒔かれた種は、毎朝夕水をやる。発芽し、黄色く育った種は、ジャマラと呼ばれる。ダサイン10日目、家族の長老から年下の者に女神ドゥルガの祝福として、ティカ(米、赤い粉、ヨーグルトで作られる)とともに与えられる。人々は、祝福のティカをもらうために、Kojagrat Purnimaといわれる15日間の祭りがおしまいになる日まで、親戚などを訪ねて歩く。」
と、新聞には書かれていましたが、最近ではこの点にも変化があるようで。
ジャマㇻについては、その通りと思いますが、日程は変わってきているようで。
今年についてですと、昨日始まったダサインですが、ティカの日は11日目で、その後、ティカをもらうために親せきなどを訪ねて歩く日が、そのあと4日ほどあるようです。
ま、どちらにしても、15日間は、「ダサイン」一色になることは間違いありません。

(朝9時過ぎの山)(私が見る東側の空です)
私の部屋から見える山と空は、一度に写真が撮れないので、今日は別の窓から撮ってみました。

(北側の空)

(こちらも同じく北側の空です)
こちらの2枚のほうが、空がきれい!待っていた空です!
こうして、初めて、私の周りの空がわかる・・・生活です。
でも、きれい!久しぶりです。
空も、ダサインの用意が整った・・・かな。
2026年10月11日(ネパール暦2083年6月25日)日曜日
今年のダサインが、今日から始まりました!
私のカレンダーでは、10月25日までですが、ティカを含んで、後半は9連休です。
ダサインは、「国民的な祭り」「帰省と年1回の移動ラッシュ」「新しいものを買う機会」「絵のように美しい天候」「食べ物といけにえの動物たち」「旅行」「ブランコと大観覧車」「女神ドゥルガへの崇拝」「ジャマラとティカ」「凧揚げとギャンブル」など、話題が多い祭りです。
と言いながら、こうしたダサインを表す言葉にも変化が表れており、私が物足りなく思うのは、凧揚げを見ることがなくなった・・・ことです。
20年前は、子供はもちろん、大人というか青年たちが盛んに凧揚げをしていました。
凧同士をぶつけあったり、糸が切れた凧を追いかけたり、勝者の歓声があったりと、私は、それを喜んで見ていました。
今年、私の近くや、私が見える範囲で凧を揚げる人は、今日までいませんでした。
原因は・・・私にもわかっています。
凧揚げより、スマホが今の子供たちや青年たちを虜にしているからです。
・・・なんということ・・・
私は、こうした現実を悔しく見ています。
今は、凧揚げをして、自分の手で高く、とんでもなく高く上がっていく凧を操る喜びや楽しさを知らないで育っていく子供たちを残念な思いで見るばかりです。
・・・何はともあれ、長いダサインの日々が始まりました。

(ダサインに現れるピン(ブランコ)。マチャプチャレやアンナプルナの山を背景に、最高の瞬間)ー新聞よりー
2026年10月10日(ネパール暦2083年6月24日)土曜日
昨日は、夜になって雨になりました。
今朝は、道が濡れていましたので、長い時間降ったものと思います。
ちょっと予想しにくい天気が続いています。

(朝9時過ぎの空と山)
2026年10月9日(ネパール暦2083年6月23日)金曜日
季節が変わっていることを感じる時。
夕方、カーテンを閉め、開けていた窓を閉める時間が、これまでより早くなっていることに気づきました。
昨日のことです。
自然とカーテンに手が伸び、その続きのように窓を閉める自分に気づき、あっ、と思いました。
夏の間は、閉め時などを感じた日はありませんでしたが、昨日は、なぜか自然のうちにしていた動作でした。
そして、そんな自分の行動に気づいたのは、その後でした。
季節が移っている・・・
こんな微妙な、と思う、自然といえる動作が出ていた・・・
寝具も、寒さに備える時なのか・・・
自分でも驚くような・・・小さな、体験でした。

(10時半の空。こんな空の一日でありますように)
2026年10月8日(ネパール暦2083年6月22日)木曜日
ダサインの、きれいな天気になりません。
朝は、それなりですが、午後になって雨の日が続きます。
昨日は、風と共に強い雨が降り、
今日も、1時過ぎからしばらく雨になりました。
ダサインの、青くきれいな空、を待っているのに、なかなかそうはいきません。
もっとも、ダサインの青空、が十分ではなくなったのは、去年今年のことではなく、
最近では、真っ青な空を見ることが少なくなっています。
やはり、気象状況が変わっているのでしょう・・・か。残念です。
朝夕の冷え込みが強くなっているように感じます。
10月も10日になろうとしているのですから、当たり前なのでしょうが。
2026年10月7日(ネパール暦2083年6月21日)水曜日

(朝8時半)
2026年10月6日(ネパール暦2083年6月20日)火曜日
昨日、ネパール人の買い物広場で、「ないものはない」と言われているアサンへ行きました。
私にとっては、スーパーでは扱っていない食料品や日用品などを買いに、よく行く場所です。
ここは、いつでも、そして、毎日でも、人が途切れることはなく混みあっています。
私がアサンへ行く時間は、いつも大体同じ時刻なのですが、
昨日は、いつもより人が多いように見え、買い物客で混み合う店もありました。
で、思ったのですが、これからダサインまでの日々、日ごとに人の数が増え、ダサイン間近には、道路を人々が埋め尽くし、
行き交う人とぶつかったり、軽く押しあったりするほどの人出になる・・・ことを思い出しました。
私も、そうした賑わいの中を歩いたことがあったのです。
普段のアサンとは全く違う人出の中を、小さな隙間を見つけて歩いたのです。
そして、そうした人出と賑わいを、新聞の写真を通しても見ていました。
今は、あの中を歩いてみたいという気持ちはなくなっていますので、
ダサインが終わるまでは、アサンへは行かないでおこうと思っています。
2026年10月5日(ネパール暦2083年6月19日)月曜日
今日も、ダサインに関する話題です。
ダサイン前になると、家中のカーテンを洗う家が、私の周りに現れるのですが、
今年もありました。
カーテンが、物干し場いっぱいに干されました。
それを見て、私は、ダサイン前の大掃除の一つ、とわかりました。
家の中の様子を知ることはできませんが、外のことはわかりますね。
天気が良かったので、カーテンはその日のうちに乾いたようです。
同じ日に洗って干したカーペットは、乾ききるまでに日数を要しているようです。
2026年10月4日(ネパール暦2083年6月18日)日曜日
ダサインは、普段は関係のない部分でも影響が出ます。
今朝もそうでしたが、ごみを持って行ってくれるごみ収集業者の少年が、家の呼び鈴を押して立っていました。
私は、部屋代を払って住んでいるので、部屋主ではないのですが、見当は付きました。
この屋の持ち主は不在なのかどうかわかりませんが、
去る気配がなかったので、行ってみました。
何?と声をかけると、ダサイン関係で・・・と返事がありましたので、
私は用意したものを渡しました。
後になって、ハッピーダサイン!と声をかければよかったな・・・と、思いました。
以前から、ダサインには、ごみを持って行ってくれる業者の求めに応じて、
1年間の仕事に対するありがとうの気持ちを渡していました。
ここ何年間は、その縁がなかったので、久しぶりにこうしたことをしました。
ダサインを改めて感じる朝になりました。

(いい天気ですが、9時半の山は、こんな感じです)
2026年10月3日(ネパール暦2083年6月17日)土曜日
2026年10月2日(ネパール暦2083年6月16日)金曜日
2026年10月1日(ネパール暦2083年6月15日)木曜日
10月になりました。
私が使う日本と同じカレンダーですが、
土日の休日のほか、ダサインの休日の主な日々がほとんど、今月、10月のうちにありますので、
31日ある10月のカレンダーにつけた休日の赤丸が、9連休を含んで、14日あります!
昨日、赤丸で囲んだカレンダーを見て、ビックリ!
すご~い、と、思わず声が出ました。
なぜ、こんなに休日が続くのかというと、
ネパール最大の祭りといわれる「ダサイン」が、あるからです。
もともと、ダサイン休暇は長かったのですが、
それにしても、今年のカレンダーは、見事!です。
ダサインが始まるまで、あと10日。
人々が一番楽しみにしている祭りが、目の前に、というより、すでに人々の中では始まっているのでしょう。
実は、私も、洋服や靴などをダサインの買い物と言いながら、早めに買っています。
ダサインは、ヒンドゥ教徒の祭りですが、いまでは、ネパールの祭りといえるものになっているようです。
この祭りの神様は、ドゥルガという女神です。

人々にとって、いい日々でありますように。
2026年9月30日(ネパール暦2083年6月14日)水曜日
雨の季節が終わった・・・というのは、ほんとうらしい。
午後になって、空模様が怪しくなって急な雨、という心配は、ほぼなくなっています。
今日も、雲はありますが、きれいな空です。

(7時前。太陽が顔を見せているようです)
2026年9月29日(ネパール暦2083年6月13日)火曜日
昨日の昼、きれいな、それはそれはきれいな景色を見ました。
出先から家に帰る道で見たその景色、
山は全身を見せていて、そのくっきり感と清潔感に打たれました。
あっ、毎日見ている山、今、本当の姿を見せている!と、感動しました。
雨に洗われた葉っぱの一枚一枚が目の前にあるようでした。
山ばかりではなく、前を走る車の後ろのガラスに当たる太陽がくっきりと見え、明るく反射しています。
道路もきれいに洗われて、ごみ一つ見えません。
道の両側の建物もいつもの様子にはないきりっと感があって、初めて見る景色のようです。
久しぶりというよりは、なんだかこれまで見たことのない、
それは、見慣れた景色なのに違っている、これまでの思いを一気に拭き払いました。
私は、こんないいところで暮らしている!
小さな思いが、大きな喜びをもたらしてくれた、うれしい時間でした。
3か月の雨の季節の終わりにこんな感動があることを、初めて知りました。
2026年9月28日(ネパール暦2083年6月12日)月曜日
季節が変わったのかな・・・と思わせる朝でした。
カーテンを開けると、窓ガラスが白くなっていました。
今年初めてです。
空には、昨日の名残りの満月が。月を見たのは、本当に久しぶり。

「私の空」。今朝の様子です。

(朝6時過ぎ)

(15分後)

(8時過ぎ。いい天気になるよ、と言っています)
そして、4日ぶりに洗濯物を外に干しました。
今日は、乾いた!感がありそうです。
2026年9月27日(ネパール暦2083年6月11日)日曜日
朝から雨です。
27日まで雨、との予想が出ていたのですが、今日はその最終日。
どうなるのか。
9時前の様子では、降り続きそう・・・です。
今日も、出かけるのは無理かな。
2026年9月26日(ネパール暦2083年6月10日)土曜日
昨日は、結局一日中雨でした。
昼前に雨の中を・・・と思っていた計画も中止しました。
足元を濡らすのは、やめておこう・・・ということになりました。
丸二日雨の日になりました。
昨日は、夜になって雨の音がなくなり、
10時前の今は、空一面の雲が広がっていますが、これからの天気がどうなるのか。
でも、大雨予想が出ていた2日間が、過ぎました。
さすがに空気が冷え切っていて、セーターを着ています。
今日、明日は、連休です。

(朝9時前)

(1時間後)
2026年9月25日(ネパール暦2083年6月9日)金曜日
昨日は、結局、雨の一日でした。
降りは静かでした。
夜も雨が続き、そのまま今日も雨になっています。
昨日よりは、量が多いようですが、今のところは、風もなく問題はありません。
昼近くになったら、昨日のように、靴を濡らしながら、近くを歩いてみようかな、と思っています。

2026年9月24日(ネパール暦2083年6月8日)木曜日
今日、明日は大雨になるから、外出を控えるように、という注意があったと聞きました。
今日は、その日ですが、朝から雨が降っています。
空気は冷えています。
先日、これからの服の用意をしました。
その時は、まだ早いかな、と思いながらでしたが、今朝は、あれでよかったんだ、と自分で納得しています。
この雨の時期が終われば、空気が冷え込んで、一気に寒くなるのでは、と思っています。

(朝から雨の、「私の山」。雨の中、麓しか見えていませんが。)
(9月24日・その2)
昼前に少し野菜を買いに、歩いて3分ほどの店に出かけました。
雨が降っていましたので、傘をさして行きました。
その時、急に、思い出したことがあります。
雨の中を心配することなしに歩く方法です。
もうだいぶ前のことですが、タメルで大雨にあいました。
足元からびしょびしょになりました。
道の上を雨が盛り上がって流れています。
その時の私は、素足にサンダルを履いていました。
雨がどんなに降っても、足元が濡れる心配がない、というより、そうなることに備えた足元でしたので、水の中を元気に歩いたものでした。
そして、もう一つ。
家の近くの、当時はまだ舗装されていなかった道でのこと。
やはり、大雨でした。
水たまりには雨がたまっていましたし、避けても、ズボンが濡れそうな勢いでした。
私は、ズボンをひざ下まで折りたたんでまくり上げて、雨の中を歩きました。
そうしたら、向こうから、やはり、ズボンをまくり上げてやってくる女性とすれ違いました。
二人で顔を見合わせて、笑ってすれ違いました。
忘れていたことを思い出す、雨の中の歩きでした。
2026年9月23日(ネパール暦2083年6月7日)水曜日
今日から27日までの天気については、日本大使館からも注意メールが来ました。
天気の予測はむずかしいので、毎日の予報に注意してください、とのこと。
今日は、朝から雲一面で、朝も一時雨が降りました。

今朝、9時前の空と山です。
この時は、山のてっぺんまでは見えません。
天気の様子を見ながら、必要なものを買いに出ようと思っています。
2026年9月22日(ネパール暦2083年6月6日)火曜日
先日、今回のネパールで起きた土石流について、私が知ったこと。
(マナスルへ、たぶん、トレッキングと思いますが)、
インドからのグループ180名と20人のネパール人ガイドが、この災難に巻き込まれ、いまだに一人も見つかっていない、と
いうことです。
川の水で、何もなくなった中国の国境事務所ですが、
そこへ行って、こうなる前の建物を見ていた、という人の話を聞きました。
2か月前のことだそうです。
今は、もう、何もない・・・
当然のこととは言いながらも、
それぞれの仕事に関係して、いろいろな場所への人の動きがあることを、改めて知ることになりました。

こちらの時間で、朝9時半前の「私の窓からの山」です。
明るくて、きれいです。
実際より、空の青が足りてない、とは思いますが、でも、ま、いいことにしましょう。

空の面積を大きくしようか・・・と、迷いました。
山と空を中心にしたいのだから、2枚目の写真のほうがいいのかな、と思いますが。
私の部屋から見える空は、実際、こんなところですし。
雨季は、残り1週間くらいだが、大雨が降る、との予想が出ていると聞きました。
大きな被害が出ませんように・・・
2026年9月21日(ネパール暦2083年6月5日)月曜日
2026年9月20日(ネパール暦2083年6月4日)日曜日
明るい空が広がっています。
今日は朝から、天気を保証します、といった空具合です。
写真は、私の窓から見る「山」と「空」です。
私の部屋は2階ですが、窓には泥棒除けの格子がはまっているので、
窓から身を乗り出してどうこうする、わけにはいきません。
そのおかげで、たぶん、写真の画面は、ほぼ同じ範囲を撮ることができるのでは、と思います。
今日は、私の世界の写真を2枚。
1枚目は、朝7時過ぎの山と空。
2枚目は、2時間後9時半の同じ山と空です。
今日は、たぶん、気持ちのいい日になりそう。
気分よく過ごしたいです。


2026年9月19日(ネパール暦2083年6月3日)土曜日
今日、アソジュ月3日はネパールの憲法記念日です。地震があった2015年に新憲法が発布しました。
この日の様子はテレビ中継されましたので、
私はそれを歴史の1ページを見るような、緊張した気持ちで見ていました。
大統領を乗せて国会に向かう馬車。大統領を迎える政府関係者。
国会では、国会議員(憲法制定委員)が見守る中、大統領が新憲法が書かれた厚い書類を捧げ持って最敬礼。
国会議員(憲法制定委員)がすでに署名を終えている新憲法の、最後の署名者として大統領が署名。
そして、大統領から新憲法の発布が告げられました。
その日が「アソジュ ティン(アソジュ月3日)」で、今日なのです。
2008年に240年続いた王制が廃止され、その後7年間の空白を経て、2015年に発布となった新憲法です。
こうした瞬間を見たのは初めてでしたので、その時の張りつめた気持ち良い緊張感は今も覚えています。
憲法には、私にも関係する一文があるのですが、今のところは、「憲法に書いてあるのにね」、と言われるだけになっています。
2026年9月18日(ネパール暦2083年6月2日)金曜日
「椅子のひとつ。細い竹を組み合わせて中央部がくびれた筒型を作って立て、その上面に皮等を張った小型の椅子」とネパール語辞典で紹介されているのがこの写真の椅子です。
皮を張ったものはまだ見たことがありませんが、私が知る限りでは、写真のように紐で模様を作ったものがほとんどです。

底部には古タイヤが使われています。
真ん中のものには太い紐がありますが、これは他に比べて大きいので、ここを持って運ぶと楽です。

名前は「ムダ」。
持ち運びしやすく、場所を取らず、使いやすく、壊れにくいすぐれものです。
これに腰を下ろして話が弾む人達の姿をよく見かけます。
ネパールで欠かせないもののひとつかもしれません。
持ち運びが簡単なのと場所を取らないので、私も気に入って、部屋にいくつか置いてあります。
椅子のことは「クルシ」といいますから、ムダはそれ自身の名前を持っていることになります。
2026年9月17日(ネパール暦2083年6月1日)木曜日
ネパールは、2083年の6番目の月アソジュになりました。
今日から日本の10月17日までの31日間です。
3か月の雨季が終わる月で、きれいな青空が期待できる季節になります。
今月は、ダサイン前の一休みの月、とでも言いましょうか、
土、日の休日以外は、休みの日あありません。
いえ、あるのですが、2日とも土日の休日と重なっています。
今月アソジュ月の最終日曜日から、
ネパールの人々が待ち望んでいるダサインが始まるのですが、
土石流の犠牲者や行方不明者の家族などの人たちは、
そんな考えは、とても起きないでしょう・・・
重苦しく、つらい人々がいつもに増してたくさんいるのでは、と。
せめて天気に期待をし、ダサインのきれいな青空だけでも、と願う気持ちです。

2026年9月16日(ネパール暦2083年5月バドウ月31日)水曜日
朝夕の空気に、これまでにはなかった冷ややかさを感じるようになりました。
9月も半ばですから、そうなる時期なのでしょう。
半袖を着ていて、肌寒さを感じることもあります。
「秋」を感じることはほとんどないカトマンズですが、目に見えない感覚でその移りを知ります。
今朝は、山に雲がかかり、周りを明るく照らす太陽も影を潜めています。
11時頃になって天気が回復して、パッと陽が射す日もありますので、今日もそうであってください、と願う朝10時前のカトマンズです。
This is an update
2026年9月15日(ネパール暦2083年5月バドウ月30日)火曜日
2026年9月14日(ネパール暦2083年5月バドウ月29日)月曜日
ティーズは、女性ヒンドゥ教徒の祭りで、シヴァ神に忠誠を誓い、既婚者は1日食を断ち、夫の長寿を祈る。一方、未婚者は良い夫との出会い、幸せな結婚生活を願う。(新聞より)
一か月も前からティーズに向けた商戦が始まり、
店先に赤いサリーやクルタスルワルが並ぶようになると、
私にも、ティーズが近づいてる・・・と、わかります。
値下げ札が下がったサリーを見ましたので、
あれは、去年のものでしょうか、と知り合いに聞いてみましたら、
もっと前のものでしょう・・・、と返事が返ってきました。
奥さんたちは、今年のものを欲しがるそうで、
この時期、ご主人たちは大変ですね、と振ってみると、
毎年買うわけではないけれど、あれこれうるさくてね、と言っていました。
ティーズの今日ですが、女性たちは食を断って、夫の長寿や家族の幸せを祈り、
未婚者はいい伴侶に出あえるよう願う日とされています。
一日食を断ちますから、大変だな、と思いますが、
実は、今日のティーズに向けて、ティーズパーティーと称して、
女性たちは思い思いに集まって、ティーズを前にしたパーティーを開いています。
「ティーズパーティー」と書いた垂れ幕を下げたパーティー会場も見ました・・・
そうしたパーティーへ向かう女性たちは、
やはり、赤を中心にしたサリーをまとい、きれいに化粧をして、
普段とは全く違う雰囲気になって会場へ行くようです。
酒類もたくさん飲むそうですよ。
今日の本番を前にして、女性たちは十分な準備をしているようです。
今日は、パシュパティナート寺院は、お参りの女性たちで大賑わい、のはずです。
踊りを踊って盛り上がるようです。
食を断つ、というととても大変なように思いますが、
そんなに悲愴な感じを受けないのは、
女性たちがそれ自体を楽しんでいるからではないか、という印象です。
いいティーズの一日でありますように。

(ほんとに赤いでしょ!‐新聞より‐)

(パシュパティナート寺院で踊る女性たち。熱気が伝わります。‐新聞より‐)
2026年9月13日(ネパール暦2083年5月バドウ月28日)日曜日
2026年9月12日(ネパール暦2083年5月バドウ月27日)土曜日
2026年9月11日(ネパール暦2083年5月バドウ月26日)金曜日
今日は「父の日」です。
ネパールでは、お父さんにプレゼントをしたりして、今日を祝うようです。
朝から普段は着ないサリーを身に着けた女性を見ましたし、
スクーターに改めた服装の夫婦で乗って出かける場面も見ました。
賑やかに今日の日を迎えているのでしょう。
お父さんが亡くなった人たちは、寺へ行って、お参りをするようです。
これは、ずっと以前の新聞で見た覚えがありますし、私の友達も「父を亡くしている私たちは、明日は、お寺に行きます」と言っていました。
今年の父の日へ向けて、各スーパーマーケットで多く見かけたのは、
バスケットにいろいろな種類の菓子類や飲み物などを詰め合わせたものでした。
売れてる、と店では話していました。
今日は、多分、父親のもとを訪ねる子供たちで、にぎやかな笑い声が溢れる日になるでしょう。
娘たちの、あらたまったサリー姿を見る日にもなりそうです。
それにつけても、一日中、少なくとも3時くらいまでは、雨には遠慮してほしいです・・・
(同日 その2)
今、カトマンズは、砂糖が不足しています。
インドからくるのですが、スーパーへ行っても、近くの店でも「ありません。品切れです」といいます。
今回が初めてではなく、前にもあったことです。
今回は、私が気付いてからでも1か月近くになるのでは。
いつもは、前もって買っておくのに、今回はその気づきがなく、ビンの底に少しだけの砂糖になっていました。
で、代用になると思うものを買ったのですが、これが、砂糖のような甘さがなく、チヤ(ミルクティー)を作っても、おいしくないのです。
で、友達に話したら、たくさん買ってあるから分けてあげる、という返事をもらい、飛んでいきました。
砂糖をもらい、ちょうど昼前だったこともあって、「ご飯食べてく?」という誘いに嬉しく乗っかって、昼ご飯をもらいました。
そんな時、その家のお父さんに電話があり、少し話をしていたお父さんの口から、息子の名前が出たのです。
居合わせた家族たちが笑顔になって、お父さんに注目しました。
オーストラリアで働いている次男からの電話でした。
お父さんも、家族みんなも、そして、私もその電話の用件が分かりました。
そう、今日は「父の日」なのです。
オーストラリアの息子が、父親に父の日の電話をかけてきたのでした。
お父さんは嬉しそうな顔で、息子と話をしていました。
お父さんには、嬉しい電話だったでしょう。いい「父の日」になりましたね。
2026年9月10日(ネパール暦2083年5月バドウ月25日)木曜日
今朝の空は、パッとしていません。
最近の朝は、私が起きる頃は雲が目立つ日が多いです。
今日もだめかな・・・と思っていると、いつの間にかきれいな青い空に変っている・・・
あっ、洗濯物が干せそう・・・と嬉しくなります。
そして、今の天気の変り方ですが、朝からはっきりしない空具合で、
2時頃まで持つだろうか・・・と心配する空が多いです。
昨日もそうでした。
昼前に出かけるために、空を見たのですが、今日も昼前には、つまり、私が家に帰ってくるまで空が持ちそうもない・・・
そこで、朝干した洗濯物を家の中に取り込んで出かけました。
早めの昼ご飯(ネパールのご飯セット)を食べているときに、突然の大雨。
窓ガラスにたたきつけるような激しい降り方で、降り続けます。
取り込んできてよかった・・・
でも、あのような降り方の時は、そう長くは降り続かずに、多分、30分くらいで弱まります。
昨日もそうでしたので、これで今回の雨、おしまいね、私が家に帰るまで降らないね、と思って、外へ出たわけです。
思えば、ネパールの今月も残り少なくなっており、雨季の終わりが近づいているようです。
この先、被害を起こすような強い降り方だけはしないで・・・と願います。
**
私のコンピューターは、日本語をダウンロードして使っているのですが、
ひらがな表示がうまくかみ合わずに、調整してもらうのに、いろいろな事情が重なって日数がかかりました。
昨日、調整してもらって、問題なく使えるようになったわけです。
日本語の転換がスムーズにいかないと、メールも、ワードも、今書いているブログも、
すべてができませんので、大きな問題なのです。
これで多分、イライラすることなく使えるものと思っています。
2026年9月9日(ネパール暦2083年5月バドウ月24日)水曜日
2026年9月8日(ネパール暦2083年5月バドウ月23日)火曜日
2026年9月7日(ネパール暦2083年5月バドウ月22日)月曜日
2026年9月6日(ネパール暦2083年5月バドウ月21日)日曜日
2026年9月5日(ネパール暦2083年5月バドウ月20日)土曜日
今朝のカトマンズポストのトップは、写真入りで、
After nine days in darkness, two men finally see light
でした。
二人は、カビル・マハルジャンさん、サンジャイ・サーさんです。
意志の強そうな顔と耐えてきた顔が、救助隊の隊員たちとともに新聞に載っていました。
日本のニュースでは、日々、つらい数字が増えていきます。
DNA鑑定をした後、仮埋葬された、というニュースもあります。
昨日、ティーチングホスピタルの前をバスで通りましたが、
テレビで見た行方不明者を探すビラが、バスの窓からも見えました。
昨夕から雨の音がしましたが、今は、太陽が出ています。
国の役所をはじめ、全てが休日の土曜日です。
2026年9月4日(ネパール暦2083年5月バドウ月19日)金曜日
先週、今週と続いて、ネパールは、金曜、土曜、日曜が3連休になりました。
今日は、ヒンドゥ教の神様の一人、クリシュナの誕生日です。
クリシュナは、大変人気のある男の神様で、
横笛を口に、両足を交差させるポーズは、たくさんの神様の中でも一度見たら忘れられないはず。
小さな子供がそのポーズをして見せて、大人たちを喜ばせます。
最近は、このクリシュナ用の子供の衣装が売られるようになり、
衣装をまとった子供を見るようになりました。
子供は多分、訳が分からずに衣装を着せられるのでしょうが、
親たちがとても喜ぶのだそうです。
これも、どの国でも変わらない親の姿、になりますね。
最近では、クリシュナの妻の衣装も売られているようで、こちらは女の子の衣装です。
私が住む所にもクリシュナのお寺があり、
今日は、ここへ向かう人たちで、バスはいっぱいでした。
ずっと前に、一度だけ、クリシュナ誕生日を祝うこの寺へ行きましたが、
ハーレークリシュナと歌いながら、たくさんの人と一緒に体を動かしていたことを思い出し、懐かしくなりました。

(子供時代のクリシュナ)

クリシュナと妻のルクミニー)
2026年9月3日(ネパール暦2083年5月バドウ月18日)木曜日
2026年9月2日(ネパール暦2083年5月バドウ月17日)水曜日
夜から明け方の雨で、空気がきれいになったのでしょう。
9時前の今は、山にかかった霧?がゆっくりと上っています。
全面ではありませんが、きれいな青い空が心を慰めてくれます。
何日かぶりにバスに乗って、6キロほどのところにあるスーパーへ行ってみようか・・・
そうしよう・・・
帽子を忘れずにーーー
2026年9月1日(ネパール暦2083年5月バドウ月16日)火曜日
2026年8月31日(ネパール暦2083年5月バドウ月15日)月曜日
なんといえばいいのか・・・
防ぎようも、止めようもない自然災害が起き、被害者や行方不明者数が日々増えていくニュースが、
苦しさを伝えます。
今朝は、6歳の少女が助け出されたことを知りました。
この後に、こうしたニュースが続くことを祈りたい・・・
日本でも大きく扱われているこのニュースが、私の安否を心配してくれる日本の友人からの久しぶりのメールを届けてくれました。
私としては、思いがけないメールを嬉しく受け取りましたが、そのきっかけとなったことを思うと。
くじけないで・・・と。
2026年8月30日(ネパール暦2083年5月バドウ月14日)日曜日
2026年8月29日(ネパール暦2083年5月バドウ月13日)土曜日
3連休の中日。
明け方の雨の名残りか、近くの山には雲がかかり、空にも雲が広がっています。
雨、降ってね、と簡単に言えない・・・
ティーチングホスピタルの前を通るのも・・・
私、変わらない時間を送っています・・・
2026年8月28日(ネパール暦2083年5月バドウ月12日)金曜日
今日は、「ラクシャバンダン」です。
『今日は、「ラクシャバンダン」で、右手首に災い除けの糸を巻いてもらう日です。お寺でお坊さんに巻いてもらったり、家族同士で巻いたりします。この紐は、ティハールまで巻いています。(新聞より)』
ラクシャバンダンは、自分自身を守るためのヒンドゥ教徒の行事です。
ほんとに久しぶりに朝のお寺に行ってみました。
お寺に向かう道路が、朝から車やバイクの音で騒がしく、
寺の方からは、すでにお参りを済ませた人たちが戻ってきます。
やはり、祭りの日にふさわしい雰囲気が溢れています。
寺は賑やかでした。

鐘太鼓の音が響いています。
お面を着けて踊るグループがあり、人たちが取り囲んで写真を撮っています。
子供の頭を撫でるような仕草をするのは、やはり、子供の無事な成長を祈るのかな・・・

紐を巻いてくれるお坊さんが、高齢の方から少年まで、本当にたくさんいました。
右手首を差し出す人の手首に紐をまき、額に赤いティカをします。
巻いてもらった人は、感謝の気持ちをお坊さんに渡します。

そして、今日は、もう一つの行事があります。
ヒンドゥ教徒の男子は、左肩から右脇にかけて紐をかけているのですが、
一年に一度取り換える日が今日なのです。
そうした男子も見ました。

ここの神様は、水に横たわっているのですが、
今日は、目にも化粧が施されていて、いつもの印象とは違っていました。

朝から午前中まで人々で賑わうとのことです。
【おまけ】お坊さんの後ろ姿。真ん中の髪だけ残しています。ヒンドゥ教男子は、親の死や年回忌、さらには、娘の結婚時にも同じ頭をします。

2026年8月27日(ネパール暦2083年5月バドウ月11日)木曜日
2026年8月26日(ネパール暦2083年5月バドウ月10日)水曜日
ネパールの言葉、発音が難しい。
子音+母音が身についている私にとって、母音のない発音・・・考えてもみなかった。
『私の体験』店に買い物行き、私はネパール人と同じ発音をしている、と信じて発する言葉が相手にはまるきり通じない、ということが続いた。
『例』(天ぷら)油を「テール」というのだが、ネパール人が喋っているのを聞いていると、私には「テール」と聞こえる。
で、そのように発音していると、これが店の人には全く通じない。
最後には品物を指で指してやっと油が買えた。
なぜ通じないのか。私は「ル」を言うとき、必ず「L」 に「U」 をつけて言っていた。
ところが「テール」をネパール語で見ると、「L」のみが書かれている。
そこで、私が発音していた「LU」を、舌の先を上顎につけて「L」だけにして、「テール」と言ってみた。
そしたら、1回でわかってもらえて、油が無事に買えた!
・・・今でも忘れられない貴重な体験。
ネパールの知人にひとつひとつ教えてもらっても、もともと「子音+母音」の言葉を話す期間が長かったので、子音のみで母音なしの言葉はその度に、母音あり母音なしの区別を教えてもらっている。
別の例では「ア」にも2種類あり、日本語のアとほぼ同じで明るいアのほか、アとオの中間音で、日本語にはないこもったアがあるのだが、これがまだ使いこなせなくて、ネパール人を悩ませているようだ。
2026年8月25日(ネパール暦2083年5月バドウ月9日)火曜日
2026年8月24日(ネパール暦2083年5月バドウ月8日)月曜日
新月から11日目と満月から11日目を、ヒンドゥ教では「エカダシ」と呼び、
寺参りの人で賑わいます。
朝から寺へ向かうバスが混みあっているので、その日であることを思い出します。
月2日あるこの日は、ヒンドゥ教徒にとっては、特別な日のひとつです。
寺の近くにある店に行って、人の多さに「エカダシ」であることを思い出しました。
昨日がそのエカダシでした。
昼近くの強い日差しの中、子供連れの人もいて、日よけの傘を差した人たちの長い列ができていました。
寺の前の茶店は、お参りを終え、チヤ(ミルクティー)や軽食を食べる人たちで賑わっていました。
「うまいチヤ、飲んでいってよ!」との呼び込みの声も力が入っていました。
私が一番親しみを抱いているのは、ビスヌという名の水に横たわるやはり、ここの神様です。

建物の中に入らなくても、囲いの外から顔を見ることができる神様ですが、
王様と同じ位ということで、王様がお参りに来ることはなかったそうです。
今週の金曜日は、「ラクシャバンダン」の日ですから、この寺も人々で賑わいます。
この日は、私もできるだけ早く行きたいと思っています。
この日の様子は、その時に報告いたします。
〈お参り風景)
預けられた靴や履物。

お参りは、裸足で行います。

2026年8月23日(ネパール暦2083年5月バドウ月7日)日曜日
2026年8月22日(ネパール暦2083年5月バドウ月6日)土曜日
2026年8月21日(ネパール暦2083年5月バドウ月5日)金曜日
ネパール5番目の月バドウになって、今日は5日です。
ご無沙汰をしまして、申し訳ありません。

ネパールの5月今年のバドウ月は、日本の8月17日から9月16日までの31日間です。
ついたちは、蛇祭りでした。
家の戸口にヘビが描かれたお札を貼ります。
そして、この日からネパールの祭りの季節が始まります。
ご覧のように、今月の暦は、イラストがいっぱいです。
これらの日々は祭りなどがある日です。
イラストの日を数えると、8日あり、これらにはそれぞれが祭りや行事が書かれています。
すごいですよね。
ネパールの人たち、とても忙しい、けれど、この上なく嬉しい日々が始まっています。
今は雨季。
ここにきて、雨が降り出す時間など、落ちついたリズムが出ています。
今月いっぱいは雨季と言われる月です。
ナーガパンチャミ(蛇祭り)がついたちだったせいか、
今月は、これからの祭りや行事がたくさん並ぶ暦になりました。
そういえば、こんなににぎやかな暦は、今年になって初めてです。
わくわくしている人、多いことでしょう。
私も、嬉しいです。
2026年8月12日(ネパール暦2083年4月サウン月27日)水曜日
2026年8月11日(ネパール暦2083年4月サウン月26日)火曜日
きれいな空!!!
何日ぶりでしょう!
こんな空があったんだ!とびっくりの空でした。
カーテンを開けた目の前に、思ってもいなかった青い空!がありました。
山に薄い雲がありましたが、雨をもたらす雲ではありませんでした。
白く薄い雲でした。
こんなきれいな空があったんだ、と、久しぶりの空に感動しました。
人と顔を合わせてする朝の挨拶にもその心が表れ、いつものグッドモーニングにも嬉しさが表れます。
ほんとに、ほんとに、晴れやかで、パッとした気持ちを交わしあいました。
こんなうれしい朝、何日ぶりなんだろう・・・!
こんなきれいな空があったんだ。
気持ちの弾む朝です。
2026年8月10日(ネパール暦2083年4月サウン月25日)月曜日
「バスでのリングロードの旅」ですが、
写真でお分かりのように、右回りに回りました。

リングロードは、カトマンズとラリトプール(パタン)の一部を含んだ道でした。
思えば、カトマンズで暮らしてだいぶ長くなりましたが、
リングロード一周を目的に、ぐるりと一回りしたことはありませんでした。
カトマンズに住む人でも、そうしたことを試みた人っているのかな・・・
人たちにとっては、目的地へ行く道路のひとつなのでしょう。
なぜ、私が一周をしようと思ったか・・・ですが、
私が住む所からのバスが「チャーベル!コテスウォール!!」というバスと、
「スワヤンブー!カランキ!!」と言って客を呼び込むバスの2種類があり、
これらはリングロードにある場所の名前であること、
そして、リングロードを左右に分かれて走る道上にあることも知っていました。
でも、私は、長い間、何も考えずに、また、疑問も抱かずに聞いていたのです。
コテスウォールとカランキの間にも
リングロードが続いていることは知っていましたが、
でも、その時はまだ、こうした場所の名前がそれぞれのバスの終点と思っていました。
その二つの間は、道はあってもバスは走ってないのか・・・
そして、それをはっきりさせるためにも、乗ってみよう!と決めたのです。
そうして、チャーベル、コテスウォール行きのバスに乗ったのです。
終点と思っていたコテスウォールに来ても、バスの客に降りる気配がありません。
??と思いながらも、「このまま乗り続けてみよう!」と決めました。
バスは、相変わらず停車場に泊まり、客の乗り降りが繰り返されます。
そして、私の聞いたことのない場所の名前が・・・
この時は、ラリトプールを走っていた・・・と、後でわかりましたが、
その時の私に不安や心配は全くありませんでした。
間違いなくリングロードを走っていて、
どこかで私が知っている場所に行くはず、と迷いがなかったからです。
しばらくして、私の知っている名前カランキに着きました!やっぱり、当たった!
西方のポカラや、東方のビラトナガールへ行くときに、ここでリングロードを離れ、
カトマンズを出る分岐点であることをしっかり覚えていたからです。
・・・正直言って、これで私の思ったことは間違いなかった!
後は、もう余裕綽々でバスに乗っていました。
丘の上のスワヤンブナート寺院を見ているうちに、
最近よく行くスーパーマーケットの前を通りました。
ここまでくれば、もう、チョコラパットは近い!
こうして、最初の一周をしました。
その後は、右回りや左回りで、目的地を決めて回りました。
最初の一周の時、客の乗り降りや、信号待ちで時間がかかり、
一回りした時には、バスに乗ってから1時間半が経っていました。
知らない道も走ったし、
以前覚えていた何もない景色ではなくなって、
見違えるようになっている道路や街の様子に驚きながらの「旅」になりました。
この、初めての一周は、私にとっては、「旅」だったのです。
私を旅気分にさせてくれたリングロードですが、全長28キロでした。
もっと長いと思っていたのに・・・
リングロードの仕組みが分かった今、気分転換に周遊するかもしれない・・・
手近な楽しみ、が増えたようです。
2026年8月9日(ネパール暦2083年4月サウン月24日)日曜日
2026年8月8日(ネパール暦2083年4月サウン月23日)土曜日
2026年8月7日(ネパール暦2083年4月サウン月22日)金曜日
2026年8月6日(ネパール暦2083年4月サウン月21日)木曜日
2026年8月5日(ネパール暦2083年4月サウン月20日)水曜日
今は、時間は色々ですが、一日一回、雨が降っています。
今日は、明け方から7時過ぎまでの雨でした。
ゲートを開ける音がしたので、窓から見ると、学生が傘を開くところでした。
朝の5時半でした。モーニングクラスで学ぶ学生のようです。
道が濡れていて、トウモロコシの葉に当たる音もしていました。
今朝は雨だから、新聞の配達も遅くなる・・・と思っていたのですが、
いつものように門の上、雨に濡れない所に置いてありました。
新聞も濡れておらず、配達時には雨、小さくなっていたのかな、と思いました。
おかげで今、空気が冷えていて気持ちいいです。
太陽が出ると、苦しくなります・・・
今のうちに涼しい空気をいっぱい感じていたい・・・
傘と帽子の両方を持っての外出日が続きます。
2026年8月4日(ネパール暦2083年4月サウン月19日)火曜日
2026年8月3日(ネパール暦2083年4月サウン月18日)月曜日
2026年8月2日(ネパール暦2083年4月サウン月17日)日曜日
右回りで始めた「バスでのリングロードの旅」ですが、
その最後に紹介するのが「バスでのリングロードの旅11」ナヤバスパークです。
リングロードにある長距離バスなどの発着点です。
私も長距離バスに乗ってポカラなどいくつかの場所へ行きました。
ただ、その始発点はこのバスパークではなかったので、名前は知っていても行ったことがなかった所でした。
何度か通った時に、バスが出たり入ったりしているのは見ていました。
そのバスパークに初めて行きました。
私が、このバスパークについてのニュースを見るのは、
主にネパール一の国民的な祭りダサインを控えた各地域へのバスのチケット売り場の混雑具合が、新聞に取り上げられるときだけでした。
その時の窓口は、各地へのチケットを求める人たちで賑わっていました。
私が行った日は、そうした人たちの姿はなく、客を引く人たちの掛け声だけがありました。

私は、「何処へ行く?ルンビニか?」などと何回も声を掛けられました。
ルンビニは、ネパール南部にあるブッダ生誕地です。
日本人・・・と見たのでしょう・・・
いきなりチケット売り場の話から始めましたが、リングロードからバスパークへ向かう道での光景を書きます。
様々な店が並んでいるのは、どこでも同じなのですが、
ここはほかの商店街とはちょっと違っていました。
菓子類を売る店が並んでいるのですが、それが軒を並べてズラッと並んでいるのです。

一軒の菓子屋の両隣も菓子屋、その隣も、という風に並び、菓子屋が主力の商店街、でした。
一軒の菓子屋の店を覗き、きれいに並べられた菓子、菓子、菓子を見ているうちに、アッと気づきました。

地方へ帰る人たちが、家族や友人にみやげとして買って帰る菓子なんだと。
・・・そういえば、日本のどの駅でも「お土産に〇〇菓子はいかがですか」と言って売っている。
あれと同じなんだ・・・
売る人も買う人も、国は違っても人の気持ちって変わらないんだ・・・
そして、いよいよバスパークの中へ。
それらしく仕切られ整理されたバスパークの中でした。

長距離バスのボディに画かれた思い思いの絵柄。
写真を撮りました。

(シバ神)


(日本にも、こんな言葉あったな・・・と、撮りましたが、完全ではありませんでした・・・)

(25年前に犠牲になった当時の王様の家族写真を掲げる、ネパール愛溢れる図柄!)
リングロードとバスパークへの出入り口は、いつも休むことなく、出るバス入るバスの行き来が続いています。
出ようとするバスの一台にはネパール語で「Bhairahawa」と書かれていて、
これからネパール南部のルンビニの入り口バイラワまでの長い旅に出るのだな、と知りました。
常に出入りのバスの動きがあり、活気に満ちています。
う~ん、いいもんだ・・・
見送りなどで訪れる車やバイクの駐車料金の看板がありましたので、参考までにご覧ください。

モーターサイクル:30分15ルピー、1時間25ルピー、車:30分40ルピー、1時間75ルピー
*1ルピーと日本の1円は、ほぼ同じと考えてください。
バスパークを出て、向こう側に渡ろうとしたのですが、
そこで交通整理をしていたおまわりさんに「向こう側へはどうにして渡ればいいですか」と声を掛けました。
「ここを横切ればいいんだよ」と、やっぱりね、の返事が返ってきました。
そして、笛を鳴らして、車やバイクを抑えてくれたので、お礼を言いながら結構大きな交差点を渡り切りました。

「ここに歩道橋を作ればいいのに・・・」とおまわりさんに言うことも忘れませんでした。
おまわりさん、ありがとう!
最後にもう一つ。
バスパークには、ネパールと日本の名前が並ぶこんなプレートがあります。

KATHMANDU
BUS TERMINAL
CONSTRUCTED UNDER THE GRANT AID OF
THE GOVERNMENT OF JAPAN
AS A TOKEN OF
FRIENDSHIP AND COOPERATION
BETWEEN
NEPAL AND JAPAN
1993
旅の出発点でも、到着点でもある心がはずむバスパーク。
また来たいな、と思う場所です。
2026年8月1日(ネパール暦2083年4月サウン月16日)土曜日
「バスでのリングロードの旅10」
スワヤンブナートから再びバスに乗ると、マチャポカリ(MachaPokhari)というバス停があります。

初めてリングロードのバスに乗ってここへ来た時、以前に見た交差点、と思いました。
何年前になるか・・・ランタントレッキングにいったときに、通った道です。

朝のバスに、地元の人たちと一緒に乗りました。
バスは、荷物を持った人たちでいっぱいでした。
カトマンズでの買い物をたくさん持って帰る・・・そうした人でいっぱいでした。
地元の人々の息遣いや生活が見えるようで、嬉しかった・・・
ランタン谷を歩いて、キャンジンゴンパへ至るトレッキングと、

108の湖があると言われているゴサイクンドへのトレッキングの2回、この道を行きました。

その時の思い出が強く残り、マチャポカリは今回のバスの旅から外せませんでした。
マチャポカリは、大事な思い出の出発点なのです。
2026年7月31日(ネパール暦2083年4月サウン月15日)金曜日
「バスでのリングロードの旅9」
カランキからリングロードを進んでいくと、右手の丘に白いストゥーパが見えてきます。
スワヤンブナート寺院(Swayanbhuunath)です。

(白い雲をバックにしたスワヤンブナート寺院。大きなトラックが余分な景色を消してくれて、思いがけなく、わかりやすい写真になりました)

(ズームにして撮りました。はっきり見えます)
スワヤンブナート寺院は、ネパール最古の仏教寺院と言われています。
スワヤンブナート寺院へは、バス停から歩いていきました。
以前、たぶん、10年以上前になると思いますが、その時は、タクシーを使いましたので、
歩きで訪ねるのは、初めてです。
どう見ても、上りなので、自信よりも不安が大きかったです。
リングロードに向いている仏陀像に一礼して、気持ちを決めました。

歩き出す前に一休みしたカフェの若者は、10分か15分で行きつくよ、と簡単に言いましたが、
私はそんなことはないだろうと、思いました。
リングロードをほんの少し入ったところから寺への道が始まります。

(歩きは、スクーターの後ろの道から入ります。車で行くときは、広い道を行きます)
それこそゆっくりゆっくりと歩きました。
道は、退屈しませんでした。

こうした露店が続いているので、それらを眺めたりしながら歩けます。
どんなにゆっくり歩いても、目的の場所に着きました。
スワヤンブナートが世界遺産であると書かれたプレートのそばには、

入場券販売所があり、「私、カトマンズに住んでるんだけど」と言ったら、「住んでるの?住んでる人は入場料は要らないよ」と言ってくれたので、
「ありがとう!」と少し大きめの声でお礼を言いました。
スワヤンブナートの雰囲気は、こうした感じだった、と思い出しました。

ここまで来るのに、たぶん、30分はかかった・・・と思います。


ここからは、丘の上ということもあって、カトマンズが見えます。

ここへ来る楽しみのひとつでもあります。
歩きは大変でしたが、こうしてカトマンズを見ることができました。
もう来ることはないだろうと思っていたスワヤンブナートでしたが、来てよかった・・・
2026年7月30日(ネパール暦2083年4月サウン月14日)木曜日
2026年7月29日(ネパール暦2083年4月サウン月13日)水曜日
2026年7月28日(ネパール暦2083年4月サウン月12日)火曜日
2026年7月27日(ネパール暦2083年4月サウン月11日)月曜日
「バスでのリングロードの旅8」
前回のコテスウォールから、今回はカランキ(Kalanki)です。

前回から今回までの間は、だいぶ長いですが、この間には、パタンも走っています。
リングロードがパタンを走るなんて、初めて知りました。
パタン内の停留所で降りれば、私が知っているパタンのどこかへ行けるのかな、
と思いますが、今はまだその冒険心が立ち上がっていません。
カランキは、カトマンズを出る唯一の出口、と思い込んでいましたが、
そうではないことを今回の旅で知りました。
前回のコテスウォールでは、確かにリングロードを出ますが、
パタンもバクタプルも、同じカトマンズ盆地ですし、
その視点で見ればカトマンズを出たとは言えないのかな・・・
それはともかく、カランキはカトマンズを出て西のポカラなどへ行く道で、
分岐点で反対の東への道をとると、タライ方面を経て東へ続き、
やがてはインドとの国境を流れる川にかかる橋に至ります。
橋の真ん中がネパール・インドの国境、と聞きました。
カランキは、そうした道への出発点です。
私がネパールへ来た頃は、道があって、交差点があるだけの殺風景な場所でしたが、
その後、手が入って、しっかりした、広い道路、広い交差点になっています。

(カランキから外に出ようとしているバス。逆に、リングロードを走ろうとする車や、交差点を横切って市内に入ろうとする信号待ちの車)
交差点付近には、「レストラン案内所」があったので、たずねたのですが、
そこのお兄さんは、ほかのネパール人同様に手元に視線を落として、
指が休みなくモバイルの上を動いている・・・
したがって、私の質問にもまともに答えず、こんな案内所なんか必要ない!と思いました。
ネパール各地へ行くバスは、乗客を呼び込むのに懸命でした。
それはそうですよね。
やはり、席が埋まった状態がいいに決まってますからね。
私の旅も、カランキまで来ました。まだ、続きます。
2026年7月26日(ネパール暦2083年4月サウン月10日)日曜日
夏と冬、ネパールでは雨季と乾季で、洗濯物の乾き方が違います。
夏の方が乾き方がいい?と思うのですが、これ、違うかな・・・
夏の今、水気が残っているわけではないのですが、取り込むときの手触りが、私にはしっくりいきません。
う~ん、と感じる日が続いています。
その時思い出す手触りは、パリッとした、私に満足感を与えてくれるものです。
それは、冬の乾き方で、私としては、満足するものです。
もうずっと以前から気付いていましたが、今年はいつも以上に、その思いを強くしています。
私的な解釈ですと、冬は、ネパールの長い乾季に当たり、雨が降ることはほとんどなく、乾いた日が続くということ。
逆に夏の雨季の雨がたくさんの雨を降らせ、空気が乾燥する時間がない。
それが、雨季と乾季に異なる洗濯物の乾き具合になる、と私は理解しています。
短い雨のシーズンでも、そうした違いは出るのでしょうが、ネパールでの雨は3ヵ月続きますので、
今年の雨季も1ヵ月ほど続き、雨の降り方にもリズムが出てきたように感じるこの頃になりました。
カラッと干しあがった洗濯物を取り込む日は、まだ先のようです。
2026年7月25日(ネパール暦2083年4月サウン月9日)土曜日
2026年7月24日(ネパール暦2083年4月サウン月8日)金曜日
「バスでのリングロードの旅7」
今日のポイント地点は、コテスウォール(Koteswor)です。

ここはトリブバン国際空港の敷地が目の前にあり、飛行機の離着陸が見られます。
また、カトマンズ盆地にある3つの旧都のひとつバクタプルへ行く道路の出発点でもあります。
以前よりずっと広く、大きくなっている交差点と、行きかう車を見て、びっくりしました。
ここでは、私的には何と言っても飛行機の離着陸を見ることから始まります。
飛行場のメインの場所とはだいぶ離れていますが、ネットが張られた歩道から飛行場の様子が見られます。

(離陸体制に入ろうとする飛行機)
と言っても、カメラを向けて写真を撮ることができるのは、離陸する飛行機のみで、

(飛び立ちました!写真、撮れました!!)
着陸しようとする飛行機を撮ることはできませんでした。
というのは、飛行場を見ている私の頭の上を通って、着陸しようとする飛行機は、
それこそ一瞬のうちに過ぎてしまい、気づいた時は、写真を撮れる状態ではなかった・・・からです。
離陸した飛行機は、こうして、何とかシャッターを押すことができました。
子供に返ったような気持ちにさせてくれる、そんな楽しい場所です。
ここ、コテスウォールから道が分かれ、バクタプルへ行く道路があります。

もちろん、以前からもありましたが、今の道は、日本が作ったものです。

これを見ると、2011年に出来上がったようですが、
道路を作っているときここを通ったことがあり、
ヘルメットをかぶって仕事を見ていた日本人を見ています。
道路は片道2車線(別にバス専用の道路があります)で広く、中央分離帯には木が植えられていて、
なんとなく日本の道路の雰囲気があります。

2015年のネパール地震の時には、この道路も被害を受けましたが、
2,3か所にヒビが入ったくらいですんだそうです。
さすが日本の仕事!と思ったネパール人もいたようです。
こちらの道路は、リングロードを前に進みます。

地図で見ると、リングロードを半分進んだと言うには、ちょっと短いようです。
飛び立つ飛行機、着陸する飛行機を見たくなったら、コテスウォールへ行こう!と思います。
2026年7月23日(ネパール暦2083年4月サウン月7日)木曜日
「バスでのリングロードの旅6」
パシュパティナートと国際空港の間に、リングロードに沿って歩道(散歩道?)があります。

ずっと以前から、リングロードを通るたびに気づいてはいましたが、
歩いてみようとは思っていませんでした。
今回、リングロードを一回りしてみよう、と思い、この歩く道も試みました。
ただ、パシュパティナートから空港へ向かうと、ずっと緩い上り坂ですので、
これはやめて、逆のコース、つまり、空港からパシュパティナートへの道を取りました。
空港のウエルカムゲートを出たところから、この道は始まります。

(「ネパールへようこそ」と書かれたゲートを出て、道は右手にあります)
右手には、ゴルフ場があり、ゴルファーの姿がありました。

(ゴルフ場にもジャカランダの花・・・)
ちょうどジャカランダの季節が終わろうとした頃歩きましたので、
木について咲いている花、地面に落ちた花がありました。
花の数は少なかったですが、やはり、こうした道には「花」が似合います。
私の前を歩く人や、逆方向からやってくる人があり、また、ゴルフ場の動きなどもあって、退屈することなく歩きました。

(リングロードが左手に見えます)
パシュパティナートが近づいたところで、この道は終わりました。
私の選択がよかった?のか、腰への負担もなく、背の高いジャカランダの葉っぱに守られて、
大汗をかくこともなく歩きました。
リングロードがすぐそばにあって、休みなく行きかう車も気にならずに、自分のペースで、自分の世界を楽しみながら歩きました。
正確に時計を見ませんでしたが、私の足で多分20分足らずだった・・・と思います。
今は雨季ですからやめますが、
この雨が終わったら、気持ちの良い空を楽しみながら歩いてみようと思います。
2026年7月22日(ネパール暦2083年4月サウン月6日)水曜日
2026年7月21日(ネパール暦2083年4月サウン月5日)火曜日
雨⛆⛆の日が続いています。
涼しいのはいいのですが、外に出しっぱなしにできないのが洗濯物。
いつもの雨季は、午後2時を過ぎたら降り出すからね、と教えられ、そうと信じていたのに、
今年の雨は、違います。
ここ何日も続いて、雨⛆です。
丸一日中降り続くわけではないのですが、
夜中の雨が続き、このところは、昼間の雨になっています。
今日もそう・・・
昼前からそれっぽく小さく降っていたのですが、
それが堂々の雨になり、3時前の今は、今日、何回目かの雨がしっかりと降っています。
今日の降り方から思うに、しばらく降って、一時休み、また、思い直して降り出す・・・のでは。
涼しくしてくれる雨は嬉しいです、生活上もなくてはならぬものです。
降らなければ、この先を心配して、降って、降ってと願うのでしょう・・・
でも、太陽の力でさっぱりと乾いた衣服を着たい・・・などと、とんでもないことも思ってしまう・・・
誠に勝手な私です。
ま、私のわがままはこっちに置いといて、雨をコントロールする神様に任せるしかないですね。
2026年7月20日(ネパール暦2083年4月サウン月4日)月曜日
7月20日、今日は、私の忘れられない日のひとつです。
私とともに12年間暮らしてくれた「プリンス」の日です。
プリンスは、ネパールの山の犬、と聞かされて、私のところへやってきました。
番犬、ということでしたが、たしかにそうでした。
鳴き声が、それは、すばらしかった・・・
張りと艶があって、響き渡るようでした。
体は、私の目の前で、パッ!と一瞬で大きくなった・・・と思います。
頭からしっぽまでは1メートルはあったでしょう。地面から背中までの高さは、60センチくらいあったと思います。
散歩に連れて出ると、コントロールするのが大変でした。
吠えて、そっちへ行こうとするプリンスに引っ張られて、私は転び、そのおかげでプリンスの行動を止めたこともありました。
プリンス特集をいたします。お付き合いいただけると嬉しいです。

「いい男!」ですよね。

階段から顔を出して、「こんばんは・・・」

得意なポーズ「ペチャンコ」

「モッコイ(とうもろこし)を食べる」

「ボクも食べたいよ」

「日向ぼっこ」撮影者の私も一緒です。大事な記念写真です。

花と一緒に寝ています。

「階段を上ったけど・・・」手を出して、助けました。
2026年7月19日(ネパール暦2083年4月サウン月3日)日曜日
「バスでのリングロードの旅5」
リングロードを時計回りに移動すると、パシュパティナートの次には、トリブバン国際空港に立ち寄ることになります。
この空港は、地図でもお分かりのように、リングロードに沿ったところにあります。

こうして、地図上で改めて見てみると、パシュパティナートのすぐ隣、であることが分かります。
この空港の出入り口は、いくつかありますが、
やはり、この出入り口が以前からのものですし、空港の出入り口として、紹介しておきます。

手前が、リングロードからの入り口で、ゲートをくぐった先に空港関係の建物が並んでいます。
このゲートには、「トリブバン インターナショナル エアポート」と、英語とネパール語で書かれています。
国際線の搭乗手続きをする建物です。

出発の人を見送る人々で、混みあっています。
見送りの人はここまでです。

国際線と同じ敷地内に、国内線乗り場もあります。
白い車の前にある道路が、国内線につながっています。

この空港の建物ですが、手が入り、中の様子がだいぶ変わりました。
きれいになって、だいぶ整理されてきた、といえるでしょう。
ここへきて、待合室に入ると、ちょっと緊張する、今も変わらない、私です。
2026年7月18日(ネパール暦2083年4月サウン月2日)土曜日
2026年7月17日(ネパール暦2083年4月サウン月1日)金曜日
ネパールは、2083年4月サウン月になりました。
日本の7月17日から8月16日までの31日間です。
2083年度の新会計年度が始まりました。
雨季の1ヵ月になります。
昨夜もまとまった雨の音がしていました。
この1ヵ月は、ヒンドゥ教徒の女性たちにとっては、
4回ある月曜日は断食をしてシヴァ神の寺に参る、特別なめでたい月なのです。
夫の長寿を祈る緑の腕輪と、メンディで手に描く模様が欠かせません。
メンディと言えば、先日早々と手の甲にメンディで模様を描いた女性を見ました。
若い人たちにとっては、ファッションの一つとして受け入れられているのかも・・・
歩道に模様の見本を並べた道端のメンディ屋さんを見かけるのも、今の時期です。
断食をしたりで、傍から見る私には、大変に見えますが、
当の女性たちには「楽しい」と言っています。
今日から、そうした月が始まったわけです。

2026年7月16日(ネパール暦2083年3月アサル月32日)木曜日
2026年7月15日(ネパール暦2083年3月アサル月31日)水曜日
「バスでのリングロードの旅4」
ゴウサラチョークから始まるパシュパティナート寺院です。

赤い矢印が指しています。
ネパール最大のヒンドゥ教寺院です。
ガンジスの支流で、聖なる河とされるバグマティ川の川岸にあります。
ここを訪れて目につくのは、やはり、ガート(火葬場)からの煙と独特の臭いでしょう。
ここの神様シヴァは、破壊神と言われており、
2015年のネパール地震の時には、大きな揺れに揺られながら、シヴァが起こした、と口にする人もいました。
最近のパシュパティナートの様子は、5月18日に書いておりますので、そちらも参考にしていただければ、と思います。
特に大きな行事がなくても、いつも人々が絶えないパシュパティナートです。
2026年7月14日(ネパール暦2083年3月アサル月30日)火曜日
2026年7月13日(ネパール暦2083年3月アサル月29日)月曜日
今年の雨季の雨、いつもとはリズムが違うのでは・・・
明け方の雨が多く、気づくと雨の量の違いこそあれ、雨の音がしている朝が多い。
これまでの記憶では、新聞配達の頃、大体、5時半前後ではないかと思いますが、
その時刻に雨が降る日は少なかった・・・と覚えています。
が、今年は雨の日がいつもより多いのでは。
災害をもたらすような雨は降りませんが、今後の生活用水や農業用水が十分であるように、と願う気持ちは変わりません。
近所の小さな川の水が増えてきたようで、音も大きくなってきました。
静まった夜には、その音がよく聞こえます。
雨で明ける朝は、空気も気持ちよく、やがては顔を出す太陽の暑苦しさを忘れさせてくれます。
2026年7月12日(ネパール暦2083年3月アサル月28日)日曜日
「バスでのリングロードの旅3」
次のポイントですが、ゴウサラ(Gaushala)になります。
ヒンドゥ教のお寺パシュパティナート寺院がある場所ですので、いつも人々の姿があります。
特に、祭りなどの当日は、寺参りをする人たちで混みあう場所です。
地図上の位置は、下の地図になります。

チョーク(交差点)からパシュパティナート寺院への道の写真ですが、

ここからは、道は緩い下り坂になっていて、パシュパティナート寺院は、この道に沿って左側にあります。
この写真では、上りも下りも空いていますが、私が経験した限りでは、混みあっている時間の方が多いように思います。
このゴウサラ・チョークから歩いて5分ほどのところにあるのがホテルドゥワリカです。
道路から一歩中に入ると、静かな空気が満ちていて、緑の葉っぱを見て、ほっとします。
このホテルドゥワリカについては、5月26日に書いていますので、そちらをご覧いただけると嬉しいです。
このホテル内にあるネパール料理のフルコースが食べられるレストラン・・・
一度行ってみたいのですが・・・
2026年7月11日(ネパール暦2083年3月アサル月27日)土曜日
2026年7月10日(ネパール暦2083年3月アサル月26日)金曜日
「バスでのリングロードの旅2」
グルリと道路がつながっているリングロードですが、
ここをぐるっと一回りするには、その、はじめの場所が必要です。
私は、それを、ここ、チョコラパット(Chokorapat)としました。
私が住む所からカトマンズの中心部に向かうとき、ここチョコラパットで、リングロードに出合うからです。
私にとっては、最も慣れ親しんでいるチョコラパットチョーク(交差点)(Chokorapat Chowk)ですが、
ここは、チョコラパットのほか、
マハラジュガンジュ(Maharajuganj)やナラヤン・ゴパルチョーク(Narayan Gopal Chowk)などとも呼ばれています。
リングロードの地図では、下の矢印がそうです。

ここを起点に、右肩を内側にして回る「時計回り」で、一回りします。
まず、チャーベル(Chabahill)です。


ここがチャーベルの交差点で、車やテンプーが向かっている方向は、ここでリングロードを外れ、サクー(Sankhu)へ向かいます。
その道沿いには、ネパール人初の女性登山家としてエヴェレスト登頂を果たしたパサン・ラム・シェルパ(Pasan Lham Sherpa)の銅像や、

ホテルハイアット(Hotel Hyatt)、

ボウダナート(Boudanath)などがあります。

ここの交差点は、一日中混雑しています。
ボウダナートへ行くたびに、乗り換えたりする交差点ですので、だいぶ慣れ、私の生活の一部になっている場所です。
2026年7月9日(ネパール暦2083年3月アサル月25日)木曜日
2026年7月8日(ネパール暦2083年3月アサル月24日)水曜日
「バスでのリングロードの旅1」
カトマンズは、「リングロード」と呼ばれる環状線に囲まれています。
一周27キロの道路です。
この数字を知った時は、ある種のショックを受けました。
「えっ?そんなに短かったの・・・?」と。
もっともっと長いと思い込んでいましたので。
でも、この時はタクシーの運転手と一緒で、タクシーのメーターで確かめましたので、まず間違いはないだろうと。
距離についてはあとで、もう一度確認するつもりではいますが。
この、「リングロード」には、以前から興味を持っていました。
いちどぐるっと回ってみたい・・・
長年の思いを叶えるため、思いだけではなく、バスに乗って、乗ったところと降りるところが同じ経験に挑戦?しました。
その時は、渋滞などの道路事情や、バスが道々人々に呼び掛けて乗客を拾うために、随分と時間を使い、
一周するのに要した時間が2時間近くかかったこともあって、私の頭の中には、「リングロードは長い!」の印象が強くなっていました。
でも、リングロードは面白くて楽しい!の思いが強く、場所を区切って乗ってみることにしたのですが、
その始まりのために、まず、地図を載せてみます。

ぐるっと途切れない道路があります。これがリングロードです。
この道路は、一部パタンを走っています。
地図の下の方に、左から右へ流れる川がありますが、この川の下の部分がカトマンズ盆地の古都の一つパタンです。
何回かに分けて「バスでのリングロードの旅」をお届けします。
2026年7月7日(ネパール暦2083年3月アサル月23日)火曜日
2026年7月6日(ネパール暦2083年3月アサル月22日)月曜日
2026年7月5日(ネパール暦2083年3月アサル月21日)日曜日
2026年7月4日(ネパール暦2083年3月アサル月20日)土曜日
私が暮らす場所での、小さな小さな田植え。
モミ種まきに始まって、田植えまでの様子を見てください。
①モミ種をまく作業

(芽が出始めた田んぼの様子を撮るべきでした・・・)
②育った苗を抜いて、田植えの準備

いよいよ田植えだな、と私は道端に立って、人たちの仕事を見ていました。
私の家は、農家ではありませんでしたが、水が入った田んぼ、苗・・・が、子供の頃の風景を呼び起こします。
嬉しい!気持ちで作業を見ていました。
③代かき(この作業は、「男の仕事」です)

④田植え(こちらは、「女の仕事」ですね」

⑤翌朝の田んぼ

ネパールの農作業の道具

短い柄が特徴です。
畑を起こすときにも使います。
柄が短いので、体にかかる負担が大きいのでは、と思いますが。
ネパールは米の国です。
ネパールで「ご飯を食べる」といえば、米のご飯を食べる一日2回の食事(ブジャ)をさし、
米を食べずに麺類やモモ(餃子)などを食べることは、カジャ(おやつ)といっていますが、
いずれにしても、腹いっぱい食べることにかわりません。
ネパールには、「田植えの日」があります。
この日の前から各地で田植えが始まりますが、国は田植えの日を定めています。
新聞の写真の切り抜きですが、鳴り物入りで田植えを祝います。

いい習慣!いい風景!です。
おいしい米がたくさんとれますように!!
2026年7月3日(ネパール暦2083年3月アサル月19日)金曜日
2026年7月2日(ネパール暦2083年3月アサル月18日)木曜日
2026年7月1日(ネパール暦2083年3月アサル月17日)水曜日
7月になりました。
昨夜から雨の音が続き、明け方、私が目を覚ました時にも、静かな、でも、まとまった雨が降り続いていました。
今朝のゴミ収集の仕事は、強くはありませんでしたが、雨の中で行われていました。
ごくろうさま・・・
9時半になろうとする今は、窓からは冷えた、気持ちよい空気が流れ込んでいます。
こんな朝は、最高!の気持ち。
昨日の、暑苦しくて、体ににじむ汗のない、それはそれはこれ以上はない、幸せなひと時になっています。
昼間の暑苦しさは、これもカトマンズには必要なんだと、わかった気持ちで過ごすことにして、
今は、この涼やかで体をリフレッシュしてくれる小さな風の動きをうけながら過ごす午前中を幸せと思っています。
2026年6月30日(ネパール暦2083年3月アサル月16日)火曜日
2026年6月22日(ネパール暦2083年3月アサル月8日)月曜日
2026年6月21日(ネパール暦2083年3月アサル月7日)日曜日
(休日)
2026年6月20日(ネパール暦2083年3月アサル月6日)土曜日
(休日)
2026年6月19日(ネパール暦2083年3月アサル月5日)金曜日
2026年6月18日(ネパール暦2083年3月アサル月4日)木曜日
昨夜は、久しぶりに雨の音を聞きました。
ただ、どのくらいの雨が降ったのか、どのくらい長く降ったのか、確かめることはできませんでした。
朝、隣の家の屋根や道路がしっかり濡れていることはわかりましたし、
乾き始めている状態でないことはわかりました。
9時半の今は、太陽が出ており、周りの家々が明るく照らされています。
今日も暑くなりそうです。
少しでもいいから、昨夜のような雨、降ってほしいです。
2026年6月17日(ネパール暦2083年2月アサル月3日)水曜日
2026年6月16日(ネパール暦2083年3月アサル月2日)火曜日

ネパールは、昨日から、今年の3か月目アサル月になりました。
この月は、雨季が始まる月なのですが、今年は、私が知る限り、いまだに「雨季になった」という記事を見ていません。
でも、空の具合や雨の降り方を見ていると、「雨季」と言っていいのでは、と思う天気の日々です。
今年のアサル月は、日本の6月15日から7月16日までの32日間です。
土曜日以外の休日はありません、と言いたいのですが、今は、日曜日も休日になっているそうですので、土日が連休のようです。
昨日、銀行へ行って確かめましたので、多分、そうなのでしょう・・・
アサル月15日は、「田植えの日」のはずですが、
今年私が買ったカレンダーには、その記述が抜けていて、首をかしげている所です。
(上の暦、3週目の左から2日目、右下に小さく「29」とありますが、日本の6月29日のことです。その枠に書いてあるのがネパールの数字で、「15」を表しています)
ネパールは、米を食べるご飯の国です。
前にネパールの笑い話として紹介しました「ブジャとカジャ」でお分かりのように、
ネパールでは、米のご飯を食べる「ブジャ(食事)」と米のご飯を食べない「カジャ(おやつ)」は別のものと考えています。
で、一日2回とされるブジャ、つまり、朝夕の食事のほか、中間で食べるカジャをあわせれば、結局日に3回は食べているのです。
米の苗を植える日が「田植えの日」とされていて、この日は、国中で祝います。
今年は、肥料の値上がりなどを心配する声がありますが、田植えが順調に行きますように、と願います。
ここのところ、午前中の早いうちは雲があって、心配させるのですが、
昼が近づくと太陽が出てきて、暑苦しさをもたらします。
そうした日が続いているカトマンズです。
「夜、雨が降ればいいのにね」の声を聞く日々です。
2026年6月15日(ネパール暦2083年3月アサル月1日)月曜日
2026年6月14日(ネパール暦2083年2月ジェト月31日)日曜日
ネパールの12支の話。
ネパールの12支は、ネズミ、ウシ、トラ、ネコ、ワシ、ヘビ、ウマ、ヤギ、サル、トリ、イヌ、シカです。
私が初めてネパールへ行ったのは、4月初めでしたから、10日後くらいで年号が変わるときでした。
その時、道にかけられた大きな横断幕に12支の動物のうちのどれだったのか、今は記憶がないのですが、
確か、動物の絵が書かれていました。
その時に、ネパールにも12支があるのかな?と思ったことを覚えています。
12年で一回りする12支に関係して、ネパールの人からこんな話を聞きました。
「人が亡くなって、12支が7回りすると、その人の生まれかわりの人が誕生する、というのです。
12支の7回り・・・つまり、12×7で、84年後ということになります。
心がびくっとしました。
84年・・・
長いです。
亡くなって84年と言えば、亡くなった人を覚えている人はいないでしょう。
でも、別の人となって生まれ出る・・・
こんな仕組みがあるんだ・・・
ということは、私は、私の誕生の84年前に亡くなった人に替わって生をうけた・・・ことになります。
私は、この流れの中で生まれ、これまでこんなことを考えてもみなかった・・・けれど、
長い時間の中のほんの一瞬であっても、かけがえのない時間の中にいた・・・
絶え間ない時間の中で「私」は、ごく短い時間を過ごしているわけだけれど、
私に替わって生きてくれる人が私の死後、84年後に生まれてくれ、そして、それが繰り返されていくのであれば、
繰り返される時間の中で滅び去ることはないのだ、と、心がほっとします。
いい話を聞きました。
2026年6月13日(ネパール暦2083年2月ジェト月30日)土曜日
(休日)
2026年6月12日(ネパール暦2083年2月ジェト月29日)金曜日
私が日本にいた時、といっても、私がまだ、子供だった時から大人になるまでを通じてですが、
こんな経験してなかった・・・と思うことです。
ネパールで、店に電球を買いに行った時のこと、
電球をカバーから外して、そこにあるコンセントに差し込み、スイッチを入れます。
電球は、パッと明るくなって光り続けます。
「点きますね」というように、店の人が私を見ます。
私はうなづき、そして、代金を払って、電球をもらう。
初めてこうした場面を見た時は、、びっくりしました。
店の人は、電球が壊れていないかどうか、を確かめたのです。
こんな経験初めて!でした。
私は、これに「電灯テスト」と名前を付けました。
スーパーで電気釜を買った時には、
空の電気釜をコンセントにつないで、オッケーかどうか、ランプの点灯を確かめました。
このテストは電気製品のみではなく、ガス・クッキングテーブルを買った時にも行われました。
なんと、プロパンガスにつないで、火がつくかどうかを確かめたのです。
最近、延長コードを買ったのですが、その時には、こうしたテストは行われませんでした。
というのは、この品物は、しっかりとした包装がされていて、さすがのネパールでも、これをいちいち破ってまでのテストはできないようです。
国のやり方の違いや、販売量などの違いが、こうしたやり方になっているのでは、と思っています。
最近主流の『電気あんか』、利用者が多分増えていると思われるインダクションの調理台などでも、客の目の前でこうしたテストが行われています。
小さな場面で行われる、店の人と買い物客との確認場面、ちょっといいものです。
2026年6月11日(ネパール暦2083年2月ジェト月28日)木曜日
2026年6月10日(ネパール暦2083年2月ジェト月27日)水曜日
このところ、蒸し暑い日が続き、いつものこの季節になった、と思っていました。
昨日の夕方の雨、大降りで、屋根に当たる音も大きくて、怖さを感じました。
6月の中旬になろうとしていますが、これまで、今年の雨季予想・・・あったのかな・・・
ずっと前に、雨の量が少なさそう・・・というような記事があったような・・・気がしますが。
雨季の3ヵ月で残り9か月の生活用水などを賄うネパールですから、
雨季の期間中の雨量が大いに気になります。
それにしても、昨日の雨は、すごかった。
久しぶりに、嚙みつくような雨の音を聞きました。
そして、過去の経験から、こうした怖い雨が降る日もあるのだ、と、あらためて気づきました。
今は朝7時半。
昨日の名残りなのか、空には雲が多く、窓からの風は、フレッシュで心地よい中に、それを越えた冷たさがあります。
2026年6月9日(ネパール暦2083年2月ジェト月26日)火曜日
ネパールでは、窓に「グリル」と呼ばれる格子をはめてきました。
いつごろから始まったものなのか、確かではありませんが、鉄でできた格子を窓にはめてきました。
もともとは、泥棒除けのために作られたもののようです。
これがはまった窓からは、外へ逃げることはできませんから、それ故の悲劇もあったようです。
デザインは、きわめてシンプルなものから、凝ったものまであります。








上の写真の一部です。

今新しく作る家の窓には、アルミサッシが使われることが多くなりました。
そして、今もそこに格子が取り付けられていますが、これを取り付ける目的を果たすには、シンプルなもので十分という考えからなのか、
上の写真のような、手の込んだものを見かけなくなっています。
以前、カトマンズで泥棒騒ぎが続いた時には「せめて1階にグリルがついている部屋に住んでください」
という意味のメールが、在ネパール日本大使館から送られたことがあります。
泥棒除けの窓の格子、これも「変わりつつあるもの」の一つといえるでしょう。
2026年6月8日(ネパール暦2083年2月ジェト月25日)月曜日
2026年6月7日(ネパール暦2083年2月ジェト月24日)日曜日
カトマンズのトリブバン国際空港は、カトマンズ中心地から約6km東にあり、カトマンズを囲むリングロードを走るバスで行くこともできます。
1955年に作られた空港は、かつての王様の名前トリブバン・ビール・シャハを記念してつけられました。

(空港の入り口。「トリブバン・インターナショナル・エアポート」と書かれています)

(その裏には、「ネパールへようこそ」の文字が」
国内線も同敷地にありますが、国際線の建物が見えると、左へ行く案内があります。
この道の先に国内線ターミナルがあります。

(左は、国内線ターミナルへ、スズキアルトの後ろ姿が見えるのは国際線ターミナルへの道です)
見送りの人たちが入れるのは、ターミナル内までで、手荷物検査カウンターの手前までです。


そこで出発の人と別れをします。
ネパールの国際空港は、トリブバン国際航空のほかに、2023年にポカラに新しく作られた国際空港がありますが、
稼働率やどこの国の飛行機が飛んでくるかなどは、私はつかんでおりません。
20数年前から見ますと、トリブバン国際空港は随分変わりました。
整備され、きれいになってきた、と言えると思います。
お客様の見送りに行くと、海外に働きに行くネパール人と、見送りの家族、関係者などで、いつも混みあっています。
こうした見送りの人、
または、何年か外国で働いた後帰国する息子などを迎える人たちの心の動きが、手に取るように見える国際空港です。
2026年6月6日(ネパール暦2083年2月ジェト月23日)土曜日
(休日)
2026年6月5日(ネパール暦2083年2月ジェト月22日)金曜日
最近、といっても、もう2か月くらいは経った・・・と思いますが、
バス料金が上がっています。
値上げの時期だったのか、それとも、イランの問題が関係しているのか、わかりませんが、
簡単に言うと、5ルピー(日本のおよそ5円に相当)上がりました。
それを知らなかった私は、前と同じ料金25ルピーを渡しました。
すると、車掌が「アマ(お母さんのこと。年齢の多い女性に、尊敬をして呼びかける言葉)、30ルピーになったんです」と言うので
びっくりして、「あれっ?そうなの?」と問い返すと、こっくりしましたので、5ルピーをプラスして渡しました。
そしてつい最近、同じことでもめる場面に出くわしました。
女性二人が出した料金に対して、車掌が「二人であと10ルピー足りません」と言い、
それに対して二人が「ここまで25ルピーでしょ!」と強く言い返し、車掌がさらに強く言い返しました。
こうした時の女性は、声は大きいし、耳に入ってくる声には迫力があります。
同じやり取りを2,3回繰り返し、車掌は、「事務所に行って聞いてくれ!」と言っていました。
最後は、女性客が不足分の10ルピーを支払って、静かになり、ヤレヤレ・・・
こんなやり取りを何回も繰り返しているのでしょうから、車掌さんも大変です・・・
2026年6月4日(ネパール暦2083年2月ジェト月21日)木曜日
2026年6月3日(ネパール暦2083年2月ジェト月20日)水曜日
トイレの話題って、なんとなく取り上げにくいのですが・・・思い切って。
カトマンズで見かけ、利用するトイレには2種類あります。様式と和式です。
ホテルや新しいレストランに設置されているのは、洋式です。
こうした所での問題はないのですが、カトマンズの洋式トイレは、座るところに水がかかっていることが多いです。
トイレットペーパーが置いてあればそれで拭き取れますが、
まず、一般のトイレにはそうしたものはありませんので、自分で拭き取ることになります。
その上、街中のレストランにしても、一応、こうした共同のトイレでは、便座が壊れている店などが多いのです。
これは、やはり、困りものです。
そんなこんなで、私は、外出先では和式の方がいいと思っています。
というのは、ネパールでは、床も含めてトイレ全体に水を掛けますから、きれいになっているのです。
今は、公衆トイレの数も増えていますが、そうしたトイレは、私が知る限りでは和式です。
そして、トイレ内の蛇口をひねれば置いてあるバケツに水がたまるので、その水を流せばいい、ことになります。
私は、こうしたトイレを利用するたびに、これはいい方法だ、といつも思います。
今は、公衆トイレの無料化が進んでいます。
利用の際、5ルピー、10ルピーと料金を払っていましたが、もちろん、今も有料のところもあります。
もっとも最近で、料金を払ったのは、ナヤ・バスパークのトイレでした。
思い切って、これでもか、の勢いで水が撒いてあったので、何の心配も不快感もありませんでした。
街中でも、たぶん、市が依頼したであろう「トイレ」の看板を掛けた商店などを見かけます。
私は、まだ、こうしたトイレを使ったことはありませんが、観光客や私のような買い物客にはいい方法だと思います。
トイレがあるとわかっているだけで、安心感があります。
こうなると、以前、街で見かけていた「移動トイレ」がなくなっていきますね。
そういえば、それを見なくなって、もう、だいぶになります・・・
洋式トイレの便座が濡れているのは、この、水をかけてトイレ掃除をする、というネパールの習慣によるものである、と、今の私は理解しています。
あまり目立たず、また、あって当たり前のような所でも、カトマンズは変わっています。
2026年6月2日(ネパール暦2083年2月ジェト月19日)火曜日
バスパークの隣のバス停マチャポカリでバスを降りました。
ここの交差点から、以前私がトレッキングの目的で乗ったバスが発着するからです。
昼近かったので、待機するバスは少なかったですが、あの時、ここから出発しました。
ローカルバスなので、沿線の人たちがたくさん乗り合わせ、貸し切りの観光バスでは見られない場面を見ました。
車内が人や荷物で埋まって、足の踏み場がなくなると、客が持ち込んだ大きな袋を踏んで進む、
といった、そんなことしていいの?と言いたくなるような場面もありました。
ここから出発した・・・と、懐かしく思いました。

そこから、バスを利用してリングロードを行くつもりでしたが、ふと、気が変わりました。
ここから今私が行きたいところはそう遠くないはず。
だったら、バスはやめて、歩いて行こうか・・・
で、途中で写真を撮りながら、ゆっくり歩きました。
最初は、車が行きかうリングロードを歩きました。
ここ、歩いてもいいのかな・・・と思いましたが、
バスを待つ人たちが道に立っているし、
中には、手をつないで堂々と歩いてくる人もいるので、私も自信を持って歩きました。

(右側のトラックは停車中ですので、ご安心を。)
途中から、脇道に降りて、そこを歩きました。
リングロードとの間に空き地が確保してあり、車とはある程度の距離があって、車道を歩くよりずっと安心感があります。
やっぱりこれでよかった、とほっとしました。
ここも車やバイクは通りますが、台数もそう多くはなく、やはり、車道を歩くよりは、安心ですし、あちこちに気を配ることもありません。

(草が生えている空き地をはさんで、左側がリングロードで、右側が私が歩いた道です。この道の右側には家が並び、しっかりとした歩道が作られています)
少し歩いて、前方斜め前を見ると・・・丘の上に建つスワヤンブナート寺院が目に入りました。
ここからも見えるんだ!と嬉しくなりました。

そして、目的のバラジュに到着。ヤレヤレ・・・
私の足で、12,3分で着きました。
こんな歩きもまた、楽しいものです。
2026年6月1日(ネパール暦2083年2月ジェト月18日)月曜日
カトマンズのナヤバスパークについて、書きます。
「ナヤ」は、「ニュー」のことを言い、「ナヤン バルサコ スバカマナ(新年おめでとう)」などと使われます。
リングロードという名の、カトマンズ盆地をぐるりと囲む道路にあるバスパークです。
以前から、一度行ってみたいと思っていましたが、先日、その思いがかないました。
ナヤバスパークは、ネパール各地への長距離バスのほか、主にカトマンズ盆地を走るローカルバスの発着場でもあります。
私が、このバスパークについてのニュースを見るのは、
主にネパール一の国民的な祭りダサインを控えた各地域のバスのチケット売り場の混雑具合が、新聞に取り上げられるときだけでした。

(今の時期は、人も少ないようです)
私も、ネパール各地への長距離バスを利用したことはありますが、
始発場所は、このバスパークではありませんでしたから、今回、初めてナヤバスパークへ行ったわけです。
バスを降りて、バスパークへの道を歩き出した途端、目に入ったのは、これまで見てきた店の様子とは違っていました。
ここで初めて見たカトマンズの一面でした。
菓子屋がずらっと並んでいます。

店の中には、袋詰めの菓子がびっしり並んでいます。

初めて見る光景にはじめは驚きましたが、すぐに納得しました。
田舎へ帰る人たちが買って帰るみやげ品の菓子に違いない、と。
日本でも、駅の構内やテレビで見た「何処どこみやげに、〇〇菓子はいかがですか」などの広告が、確か、あった、と。
ああ、それと同じ・・・と。
なぜか、ネパールの人たちにより親近感を覚えたのです。
国は違っても人たちの気持ち、やることは同じなんだ・・・と、心がポッとし、顔もやさしくなったようでした。
こうした光景を見て、バスパークの意味を、改めて思い返しました。
こうしたみやげを下げて故郷へ帰る人たちの弾む心と姿が浮かびました。
そして、いよいよバスパークの中へ。
それらしく仕切られ整理されたバスパークの中でした。

長距離バスのボディに画かれた思い思いの絵柄。
写真を撮りました。

(シバ神)


(日本にも、こんな言葉あったな・・・と、撮りましたが、完全ではありませんでした・・・
クイズです!埋めてください)

(25年前に犠牲になった当時の王様の家族写真を掲げる、ネパール愛溢れる図柄!)
リングロードとバスパークへの出入り口は、いつも休むことなく、出るバス入るバスの行き来が続いています。
出ようとするバスの一台にはネパール語で「Bhairahawa」と書かれていて、
これからネパール南部のルンビニの入り口バイラワまでの長い旅に出るのだな、と知りました。
常に出入りのバスの動きがあり、活気に満ちています。
う~ん、いいもんだ・・・
見送りなどで訪れる車やバイクの駐車料金の看板がありましたので、参考までにご覧ください。

モーターサイクル:30分15ルピー、1時間25ルピー、車:30分40ルピー、1時間75ルピー
*1ルピーと日本の1円は、ほぼ同じと考えてください。
バスパークを出て、向こう側に渡ろうとしたのですが、
そこで交通整理をしていたおまわりさんに「向こう側へはどうにして渡ればいいですか」と声を掛けました。
「ここを横切ればいいんだよ」と、やっぱりね、の返事が返ってきました。
そして、笛を鳴らして、車やバイクを抑えてくれたので、お礼を言いながら結構大きな交差点を渡り切りました。
「ここに歩道橋を作ればいいのに・・・」とおまわりさんに言うことも忘れませんでした。
おまわりさん、ありがとう!
最後にもう一つ。
バスパークには、ネパールと日本の名前が並ぶこんなボードがあります。

KATHMANDU
BUS TERMINAL
CONSTRUCTED UNDER THE GRANT AID OF
THE GOVERNMENT OF JAPAN
AS A TOKEN OF
FRIENDSHIP AND COOPERATION
BETWEEN
NEPAL AND JAPAN
1993
旅の出発点でも、到着点でもある心がはずむバスパーク。
また来たいな、と思う場所です。
2026年5月31日(ネパール暦2083年2月ジェト月17日)日曜日
2026年5月30日(ネパール暦2083年2月ジェト月16日)土曜日
(休日)
2026年5月29日(ネパール暦2083年2月ジェト月15日)金曜日
「ガナタントラ ディアス(Ganantantra Diwas)」は、ネパールの「共和制記念日(Republic Day)」です。
毎年ネパール暦のジェト15日に祝われる国民の祝日です。
以前、新聞は、今日のことを
『民衆が専制政治に勝った日であることを忘れず、文化の発展と人民主権の回復へと導く、一般大衆による政治的勝利を達成する日』と書いています。
240年続いた王制を廃止して、共和制に移行した日です。
2008年4月から行われていた反国王運動が最後の盛りあがりを見せ、道路を埋め尽くした人々がネパール最後の国王に迫り、実権をはく奪しました。
国王は王宮を去り、国は2008年より共和制へ移行し、その後、大統領制や国名変更、新憲法制定などを行っています。
今年は、18回目の記念日です。
当時、集会に参加した男性の興奮した語り口から、人々の盛り上がりが伝わってくるのを感じました。
もう、18年、経ったのですね・・・

(一度見たら忘れられないネパールの国旗です)
2026年5月28日(ネパール暦2083年2月ジェト月14日)木曜日
2026年5月27日(ネパール暦2083年2月ジェト月13日)水曜日
2026年5月26日(ネパール暦2083年2月ジェト月12日)火曜日
ホテルドゥワリカは、パシュパティナート寺院に近いゴウサラの交差点から少し歩いたところにあります。
先日、10年以上ぶりに行ってみました。
イタ(レンガ)で作られたホテルです。
私は、食事のために寄ったのですが、イタの色と雰囲気が何ともいいです。

(入り口は、道路に面しています)

(大きすぎない木々の緑が新鮮です)

(プール)

(日本食レストランで。右側のレンゲは、みそ汁用のものです。どの日本食レストランでも、このレンゲが出てきます)

(いい雰囲気のホテルと、あらためて思いました。ピンクのアジサイが咲いていました)
2026年5月25日(ネパール暦2083年2月ジェト月11日)月曜日
最近、蒸し暑くなりました。
昼間だけではなく、夜も部屋を窓を閉めると、部屋の空気がムッとして、息苦し感だけが満ちてきます。
30センチより小さい扇風機を買い、今は、便利に、気に入って使っています。
カトマンズでももちろん扇風機は売っていますが、
家庭での普及率がどのようなのか、私にはまるきりわかりませんが、
電気店では、夏の今、目立っています。
何年か前に私が買ったテーブルファンは、強弱の切り替えはあるのですが、
最弱にしても、私には強すぎる風で、その辺のものがみんな吹っ飛ぶ勢いでした。
それが嫌で、というのは、私がほしかったのは、優しい風が吹く扇風機で、
私的には、部屋の空気をそっと揺すってくれる風を送ってくれればそれで十分で、
部屋の空気を少しだけ動かしてくれる風がほしかった・・・のですが、
これまでに買った何台かの扇風機に、残念ながら、合格のものはなかったのです。
で、小さなものを探しました。
運良く、希望のものに出合い、今は、紙を吹き飛ばさず、私に送られる風も、ま、いいでしょう、と感じています。
窓を開けていると、適度な弱さで入る風が、何とも言えず心地よく、やはり、この自然の風が一番、と思います。
自然の風と、作られた風の違いを感じながら、今年の夏は、この扇風機の風で過ごそうと思っています。
2026年5月24日(ネパール暦2083年2月ジェト月10日)日曜日
2026年5月23日(ネパール暦2083年2月ジェト月9日)土曜日
(休日)
2026年5月22日(ネパール暦2083年2月ジェト月8日)金曜日
【大きな不安】
今年のインドは、雨の量が少なくて、水不足になるのではないか・・・
肥料がなくて、米や野菜が育てられるのか・・・
そうであれば、飢饉になる・・・のでは、という怖い話を聞きました。
ネパールも、田植えの季節になりますし、
米をはじめとして、毎日必要な野菜が作れなくなったら・・・と思うだけで、不安は大きくなります。
ネパールは、インドに頼っているので、食糧問題が起きるでしょう。
ガソリンやプロパンガスにも影響があるでしょう。
タクシー運転手は、ぺトロール(ガソリン)が高くなって・・・とこぼしています。
小さな力のない国は、どうなるのだろう・・・
毎年、雨季を迎えると、十分な雨が降りますように・・・と、祈る気持ちになりますが、
今年は、それだけでは済みそうもない・・・大きな不安を抱える日々になりそうです。
田や畑で米や野菜作りに精を出す農家の人たちの喜びが絶えませんように、
そして、食糧問題に悩まされることのないように、と願うばかりです。
2026年5月21日(ネパール暦2083年2月ジェト月7日)木曜日
【モモの数】
ネパールには、「モモ」と呼ばれる日本式に言うなら「餃子」があります。
私が知る限りでは、この中身は「チキン」「ベジ(野菜)」「バフ(バファロー)」が主です。
私はこれまでに、この3種類をすべて食べました。
店による中身や味の違いがあるのは言うまでもありません。
また、調理の仕方も「蒸し餃子」「揚げ餃子」などがあります。
ネパールのモモは、一皿10個です。

日本食レストランでは、このモモの数にだいぶ悩むようです。
はじめは、(たぶん)日本式に6個の餃子を乗せていたのですが、それが10個になった時がありました。
店の人に聞くと、「お客さんが、6個では少ない、と言った」そうで、数を増やしたのでしょう。
その後、餃子の数が8個になり、今もそれが続いています。
たくさん食べるネパール人も納得、ということなのでしょう。
モモの別の話題も別の機会に取り上げます。
今朝は、時間は短かったですが、2回に分けて雨が降りました。
今は、すぐそこの山がモヤに覆われて、はっきりしません。
歓迎できない天気が続いています。
2026年5月20日(ネパール暦2083年2月ジェト月6日)水曜日
【ネパールのご飯論法】
私が以前にこの欄で書いた話題ですが、
| A「私たち、ブジャを食べないと、死んじゃうよね」 B「そんなことないさ」 A「どうして?」 B「だって、カジャを食べるもの」 |

(「ブジャ」と言えば、ネパール式のご飯セットです)

(ネパールの餃子「モモ」は、カジャのひとつ)

(えらく黒く焼けてますが、ナンも、ネパールではカジャです)
私がネパールの中学生だった少女に教えてもらった、ネパールとインドに共通の笑い話として、紹介しました。
これは、米のご飯を食べるのが、「ブジャ」で、米を食べないのが「カジャ」と、食事とおやつを使い分けるものです。
ネパールでも、「ブジャ カヨ?(ご飯食べましたか)」と、「カジャ カヨ?(おやつ食べましたか))」
を使い分けています。
米を食べる、食べないは、私にはどちらも食べることであり、食事をすることでしたので、
自分の中で区別することはありませんでした。
ですから、人に「ブジャカヨ?」と聞かれると、チヤ(ミルクティー)とパンであっても、「はい、食べました」と答えていました。
でも、ネパールでははっきりとブジャとカジャを区別しています。
ですから、生じる笑い話、なのですが。
つい、2,3日前、日本の国会中継やジャーナリストなどのYOUTUBE動画を見ていると、「ご飯論法」が耳に入りました。
動画作成者の解説を聞いて、あの笑い話じゃないか!と思いました。
動画作成者は、『「直接、実際に会ったことはないが、オンラインで会った」ということは、
「ご飯は食べてないけれど、パンは食べた」ということ』であると説明していました。
ウィキペディアには、「提喩を用いることによって質問に正面から答えず、論点をずらす論法。「朝ご飯は食べたか」という質問を受けた際、「ご飯」の意味を故意に狭い意味として解釈し、例えばパンは食べたにもかかわらず、「ご飯(米飯、白米)は食べていない」と答えるように、質問側の意図をあえて曲解し、論点をずらし回答をはぐらかす手法である」と書いてあります。
私が単なる笑い話として聞き、それ以上の意味を考えてみなかった話でしたが、
こんな意味もあったのか、と驚き、改めて笑い話を読み返しました。
2026年5月19日(ネパール暦2083年2月ジェト月5日)火曜日
2026年5月18日(ネパール暦2083年2月ジェト月4日)月曜日
ネパール最大のヒンドゥ教寺院パシュパティナートです、といって
どの場面を紹介すればいいのか、迷いますが、
私の中で一番ここを象徴する場面として残っているのは、ガート(火葬場)です。
で、その場面を。
パシュパティ寺院ですよ、と教えられて、まず、目に入るのは煙でしょう。
バスからもはっきり見えます。

近づくと、独特の臭いがあります。
ギウ(精製バター)を燃やすので、たぶん、それではないかと。
私が訪れた日は、ガートの火葬台が使われていたのは3つでした。

屋根の下に並べられた椅子に腰掛けた関係者の姿が見られました。
今の時期にしては、川の水量が目立って少ないとは思いませんでした。
このバグマティ川は、聖なる河ガンジスの支流です。
川を挟んで、ガートの反対側は石段になっていて、
かつて、元首相の火葬の際には、そこが死を悼む人たちでびっしり埋まっていました。

***
政府が言う貧民の住居が立ち並んでいた場所です。
私が行ったときには、政府の通告通り、一軒の家もなく、
あるのはつぶされた家々を作っていたイタ(レンガ)や、セメント、鉄骨などだけでした。

そこで、鉄筋などを集めていた廃品回収の男性に聞きました。
「ここは、壊されてまだ、間もないですよね」「そうだね」
「ここにいた人たちは、どこへ行ったんでしょう」「わからない・・・」
公園あとには、ここの居住者のために設置されたであろう、
そして、まだそう日が経っていないのでは、と思われる遊具が残っていました。

パシュパティ寺院の敷地にあった、政府がそう呼ぶ貧しい人々の住居、
この場所を今後どうするのか私にはわかりませんが、
これが発展の始まりとでもいうのでしょうか。
2026年5月17日(ネパール暦2083年2月ジェト月3日)日曜日
今住んでいる場所、といえばいいのかどうか迷いますが、
これまでに暮らしていた場所と比べて、と言いなおしてみますが、
鳥などを見る機会が少なくなっているように思います。
カラスやスズメは当たり前のようにたくさん姿を見ていましたし、
家で飼われる鳩より小さなサイズのものだったり、カワセミがやってきたり・・・
名前はわからないながらも、いろいろな鳥を見たのですが、
場所が変わったり、家の周りの空き地の大きさだったりが関係しているのでしょうか。
今の場所では、見かける鳥の姿がぐっと減っていて、寂しいです。
カタツムリを先日見ましたので、写真に撮りました。

この状態で5~6センチでしょう。
久しぶりのカタツムリでした。
子供の頃見ていたこうした生き物を見るのは、やはり、嬉しいです。
カタツムリの次は、やはり、ホタルを期待しましょう。
家の近くに小さな川があるのですが、ホタル、飛ぶでしょうか。
飛んだら、こんなに嬉しいことはありません。
楽しみにします。
2026年5月16日(ネパール暦2083年2月ジェト月2日)土曜日
1975年の今日5月16日、田部井淳子さんが、女性最初のエヴェレスト登頂を果たしました。
その時から50年たったわけです。
ネパールの人たちに、「ジュンコ タベイ」として田部井淳子さんはよく知られています。
ポカラの国際山岳博物館には、田部井淳子さんの装備も展示されています。
エヴェレストは今、春の登山シーズンです。
新聞で、最高齢登山や、最速登山、最多回数登山などの話題が取り上げられますが、
「最初の登頂者」の記録だけは塗り替えられることなく、永遠に続きます。
その意味で、エヴェレストの話題を目にすると、ジュンコ タベイを誇りに思います。
田部井さんが亡くなった時、亡くなったことを悼んで、横断幕を作って掲げたネパール人がいます。
その人は、何かの時に横断幕を作りましたが、田部井さんの横断幕も作ってくれました。
今は、姿を見ていません・・・
エヴェレストに関する忘れられない私の思い出ですが、
エヴェレスト初登頂の一人ヒラリー卿が亡くなった時、ニュージーランド領事館が記帳を受け付けました。
その時、カトマンズで暮らし始めていた私は、こんなチャンスはない、と思い、
領事館へ出かけて、「エヴェレストとともに、ヒラリーの名は永遠に」と、日本語で書きました。
最初のエヴェレスト登頂者と、思わぬ接点を持てたことを幸せと思いました。
ネパール人女性の、エヴェレスト初登頂者は、パサン・ラム・シェルパです。
彼女を称える銅像ができています。

Chabahill(チャーベル)からボウダナートへ行く道の途中に立っています。
ボウダナートへ行くたびに、私は、銅像の彼女を見ています。
新聞に女性初登頂から50年経ったという記事のタイトルを見て、今日のブログになりました。
2026年5月15日(ネパール暦2083年2月ジェト月1日)金曜日

ネパールは、1月が終わり、今日から2番目の月ジェトが始まりました。
今年のジェト月は、日本の5月15日から6月14日までの31日間です。
乾季も終わりが近くなり、雨季が近づいています。
これを書く前に、私が書いてきたこれまでのジェト月の天気を見たのですが、
天気が良くない、雨が降るなど、どうも、今年と似たような天気だったようなのです。
私はすっかり忘れているのに、その時に私が書いているのだから、そんな天気だったのだろう・・・
今月のネパールの休日は、土曜日の5日のほかに1日あります。
ジェト月は毎年ですが、紙面が地味な月です。
強い太陽が待たれます。
2026年5月14日(ネパール暦2083年1月ボイサク月31日)木曜日
目の前の、向かいの家での7日間のプジャ(宗教儀式)が終わり、ほっとしています。
ヒンドゥ教徒のプジャで、私にはその意味や目的など分かっていないのですが、
とにかく終わってほっと・・・しています。
朝から始まるプジャですが、初日7時前のいきなりの大きな音に驚き、頭、壊れそう!となりました。
プジャをすることを近所の人へも話して、来てください、と言ってあるそうで、
朝から神様への捧げものを持った人たちが訪れます。
女性たちは、赤いサリーを身に着けています。
何人かでの赤いサリー姿は、赤の色がとてもきれいで着ている女性たちを輝いて見せています。
朝から夜まで続くお坊さんの説教と唄や音楽、
ネパールではこの時の音の大きさが半端ではありません。
その場に集まっている人たちはもちろん、できるだけ多くの人に聞こえるように、
との思いからなのでは、と私は勝手に考えていますが、
どんなに尊い話でも、こんなに大きな音でなくても、と私は思うのですが、
ネパールではそんな思いは通じないようで、
スピーカーからは最大限のボリュームではないかと思われる音量が飛び出しています。
それが、朝から夜まで続きます。
お坊さんの食事時だけは音の大きさは押さえているようですが、
その分、参加者のおしゃべりがありますので、私にとっては、休める時間はありません。
夜は9時ごろ終了していたのが日ごとに延び、最終日の昨夜は、11時まで歌と踊りが終わりませんでした。
最大限の大きさで、しかも、朝から夜まで鳴り響くのは、
私はそれに対する習慣がなく、しかも、耳には入るが、聞きたい音ではないときは、これほど苦痛なことはありません。
朝も、昼間も、夜になっても、聞きたくない音が耳に入ってくることほど、苦痛はないと、改めて思いました。
ネパールの人たちは、神様への祈りを大切にしています。
神様に関する行事を喜び、神様の前で手を合わせます。
一方、歌や音楽に合わせて踊るのが好きな人たちです。
今回のプジャでも、毎日、その日を歌と踊りで締めくくっていました。
その時だけは、参加者は神様の前で踊ることに集中しています。
ことによると、ヒンドゥ教の神様たちは、こうした場面がお好きなのかもしれないですね。
あれだけ踊りまくっていれば、当分の間はすっきりした気分で、暮らせるのでは、などと思っていました。
今朝はキッチンの仕事をしていた人たちが、早くから片付けの仕事をしています。
フォークなどがぶつかって立てる音が聞こえています。
・・・これで、私は、家を逃げ出さなくてもよくなりました。
普通の暮らしに戻れるようです。
今回は、7日間のプジャでしたが、1ヵ月続くプジャもあるそうで・・・
そうなったら、私、壊れてしまいます!!
2026年5月13日(ネパール暦2083年1月ボイサク月30日)水曜日
2026年5月12日(ネパール暦2083年1月ボイサク月29日)火曜日
スワヤンブナート寺院は、ネパール最古の仏教寺院と言われています。

カトマンズを囲むリングロードをバスで行き、バス停からは歩いて行けます。
丘の上に立っている寺院なので、離れたところから見ることができます。
私、何年振りかで行ってきました。
これまでは車やタクシーを使ったので、高い所と分かっていても、体で実感することはありませんでした。
今回のスワヤンブナート寺院は、体で感じる時間になりました。
リングロードに3体の金色の仏像を見たら、そこがスワヤンブナートへ行く道の始まりです。

若い男性のカフェに寄って一息入れ、砂糖の入ったブラックティーを飲んで、体にエネルギーを入れました。
そして、スワヤンブナートの仏塔を目指しました。
カフェの男性は、10分15分で着きますよ、と言ったのですが、
露店の並ぶ上り路をゆっくり歩き、仏塔に着いたのは、たぶん、30分後だったのでは・・・

以前来た時と変わってないと思う光景がありました。
仏塔にはタルチョがはためいていました。

面積的には、小さいのですが、ボウダナートとは異なる雰囲気があります。
スワヤンブナートが世界遺産であると書かれたプレートのそばには、

入場券販売所があり、「私、カトマンズに住んでるんだけど」と言ったら、「住んでるの?住んでる人は入場料は要らないよ」と言ってくれたので、
「ありがとう!」と少し大きめの声でお礼を言いました。
『参考までに、外国人は200ルピー(ほぼ200日本円)です』
スワヤンブナートからは、カトマンズの街が見られます。
私が行った日は、天気の関係で空や遠くの景色がぼんやりしていて、残念でした。

カトマンズは、家々や建物で埋まっていました。
高さのある建物が増えています。
高いといっても、空を突くような高さのものはありませんが、それでも、以前よりはぐんと増えています。
ネパールではアパートメントと言っている建物が多くなっています。
カトマンズも、地方からカトマンズへやってくる人々の家を作る土地が少なくなっているようです。
(下手な写真ですみません・・・)
ここスワヤンブナートでは「カジャ」(米を食べないおやつ)で、
モモ(ネパールの餃子)、チャウミン(焼きそば)、トゥクパ(スープ麺)などが食べられます。
足に余力がなかったので、坂道を転げ落ちないように、と帰りはタクシーを利用しました。
運転手たちとの料金の駆け引きでは、私、少し甘かったみたい・・・
遠くで見ているだけが多かったスワヤンブナートでしたが、今回思い切って上りました。
行ってよかったです。
また行く日があるのでは、とボウダナートだけではなく、こちらにも足を伸ばしてみよう、と思っています。
2026年5月11日(ネパール暦2083年1月ボイサク月28日)月曜日
2026年5月10日(ネパール暦2083年1月ボイサク月27日)日曜日
2026年5月9日(ネパール暦2083年1月ボイサク月26日)土曜日
(休日)
2026年5月8日(ネパール暦2083年1月ボイサク月25日)金曜日
ネパールのお金の中に、硬貨もあります。
1ルピーと2ルピーです。
スーパーでの経験にこんなことがあります。
買い物の合計が198ルピーで、200ルピーを渡すと、おつりに飴玉が一つまたは二つきます。
1,2ルピーの硬貨がないんだろう・・・と思うので、
お釣りが飴玉であることに文句はないのですが、残念なことに私が食べたい飴ではない、のです。
で、財布になるべく硬貨を入れておくようにしてはいますが、
忘れることもあって、飴玉が渡されることもあります。
そうした時は、会計の女の子にプレゼント?して帰ります。
硬貨にまつわるもう一つ、
どのレストランでも、お釣りの4ルピー以下の端数をもらったことがありません、と言ってもいいでしょう。
レストランの人になぜなの?と訊ねたことはありませんが、
今度聞いてみようかな・・・
***
ほとんど曇り、午後は雨だそうです。
天気、壊れちゃった・・・
2026年5月7日(ネパール暦2083年1月ボイサク月24日)木曜日
昨日、一昨日と久しぶりにさっぱりした空でしたが、
今日は朝から寒そうな色をしています。
もっとも、今は朝の7時半ですから、この後9時頃には、当たり前のように太陽が出てくるのでは、と期待しています。
向かいの家で昨日から一週間のプジャ(宗教儀式)が始まり、
7時前からお坊さんが祈る声がマイクを通して聞こえています。
手伝いの、今は主にお勝手の仕事をする人たちが大きな圧力鍋をガスコンロにかけ、
シュッシュッと勢いよく蒸気が出ています。
昨日の様子を見ていると、やってくる人たちの出足は早く、
女性はほとんどの人が、赤いサリーを着ています。
何人もの女性の赤いサリー、は、いいですよ。
昨夜は、夕方になってやってくる人もあって、暗くなっても人の話し声がしていました。
こんな時は、やはり、いい天気であってほしいもので・・・
すぐそこの山のてっぺんは、霞んでいますが、いいプジャ日和になりますように。

(雰囲気だけでも、と思うのですが、わかりにくいですね。赤い幕の奥にはお坊さんと女性たちがいて、儀式をしているようです。)
2026年5月6日(ネパール暦2083年1月ボイサク月23日)水曜日
今、カトマンズで見られる花は、「ジャカランダ」です。

(カトマンズ中心部のジャカランダの花。歩道橋の上から撮りました。空の雲が残念です)
紫色の花で、木は大きいです。
家のそばにあったり、街の中で何本もまとまって咲いていたりしています。
先日から、もうすぐジャカランダの花、咲きそう・・・と思っていました。
その時は、開いている花は少なく、華やかさはありませんでしたが、
あと何日かで開き揃う・・・と思わせました。
先日、バスの窓から見たジャカランダの花、開いていました。
ああ、この季節になった・・・と思いました。
カトマンズの中心部で見るジャカランダの花は、以前より少なくなりましたが、この花の並木が残っている所があります。
王宮前の通りです。
2,3日前は、まだ咲き具合が寂しかったですが、今は、たぶん、咲き揃ったのではないかと。
道路の片側だけですが,木が並んでいるので、咲き揃えばいい風景になります。
街中のジャカランダの木が少なくなり、寂しい思いはしていますが、
咲き揃ったジャカランダが、青い空に映える様は、それは見事です。
カトマンズで咲きほこるジャカランダの花、
私にとって、季節の花になりました。
2026年5月5日(ネパール暦2083年1月ボイサク月22日)火曜日
私がよく行く中央郵便局をご紹介します。
地震前は、カトマンズの中心地ダラハラにありました。
そこでカトマンズのシンボルであったタワーが、地震で崩れ、そこの再開発で、近くにあった郵便局にも影響が及びました。
引っ越ししたのです。
以前の郵便局は、私にとっては都合がよく、私のところから乗り換えなしのバスひとつで、
片道40分前後でいくことができたのですが、
今の郵便局は、そういった意味では、不便になったのです。
バスで街まで行き、そこでタクシーに乗り換えるのです。
とても歩ける距離ではないし・・・
ですから、どうしても足が遠のき、以前の郵便局のように毎日でも行けちゃう!とはなりません。
引っ越してからは、年に3~4回行けばいいほうでした。
でも、今年はこれまでと違っています。
昨日ですでに4回目、です。
自分でもびっくり!
でも、自然に足が向くのだから・・・いいのでしょう。
私は、この中央郵便局に私書箱を持っていて、私宛、というかこの私署箱の番号が書いてある郵便物はこのボックスに入れられ、
受け取りに来る私を待つのです。
ここでは、郵便局に郵便物が届いた日付のスタンプを押してくれるので、
郵便局に届いた日、日本からの日数が分かります。
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写真は、私書箱が並ぶ様子と、郵便局の外観です。

私書箱は広いフロアにびっしりと並んでいます。写真は、それのほんの一部、です。
私書箱の小さなドアを開けて、中に手紙があるか確かめ、あればそれを持って帰ります。
利用料は、1年間で750ルピー(およそ750円)です。
外観の写真ですが、「GENERAL POST OFFICE」と書かれています。

カトマンズに届いた郵便物は、ここで整理されます。
各国に送られる郵便物の袋の山を見るのも、この中央郵便局でです。
日本の友との手紙のやり取りが嬉しい私にとっては、郵便局は私たちを取り次いでくれる欠かせないオフィスです。
2026年5月4日(ネパール暦2083年1月ボイサク月21日)月曜日
2026年5月3日(ネパール暦2083年1月ボイサク月20日)日曜日
天気が壊れているカトマンズです。
朝ははっきりしなくて、その後は、太陽が出そうな気配を見せますが、午後からは雲が広がり、
実際に雨が降る日もあります。
薄いセーターを着る人や、ジャケットを羽織って冬の雰囲気に戻る人がいる一方で、
昼間は半袖の人もいて、落ち着かない日々です。
そういう私は、昨夜はひざ掛けを使いました。
買ったばかりの扇風機の出番はありません。
いつもの、拭いても拭いても流れる汗・・・の私ですが、今年はそうした日もなく、
いえ、今年も歩いて汗を拭く日もあったのですが、これまでとは違います。
どうしちゃったんだろう・・・
ネパールでは新年が始まったばかりですが、今年の天気が心配になります・・・
2026年5月2日(ネパール暦2083年1月ボイサク月19日)土曜日
(休日)
2026年5月1日(ネパール暦2083年1月ボイサク月18日)金曜日
今日は、ネパールは「ブッダ・ジャヤンティ(釈迦誕生日)」で、休日です。
なぜ、今日なのかというと、
ボイサク(4月中旬から5月中旬までの1ヵ月)の満月の日が
釈迦の誕生日になっているからです。
カトマンズにある仏教寺院のスワヤンブナートやボウダナート、
もちろん釈迦生誕の地ルンビニでは、大きな祝いが行われます。
私がよく行くボウダでも、きっと人出が多く、5色の祈祷旗を掲げる仕事の人たちも、
今日は一日忙しいことでしょう。
私の思い違いでなければ、今年は2570回の釈迦誕生日になります。
休日です。
(下の写真は、上から順に、スワヤンブナート、ボウダナート、朝靄の中のルンビニ マーヤ聖堂)



今日は、ネパールでは休日が重なっています。
メーデーの休日でもあります。
今日、明日の2連休になります。
天気はどうなのでしょう。
いい天気であってほしいのですが。
2026年4月29日(ネパール暦2083年1月ボイサク月16日)水曜日
| 笑い話 「ブジャ(食事)」と「カジャ(軽食)」 A「私たち、ブジャを食べないと、死んじゃうよね」 B「そんなことないさ」 A「どうして?」 B「だって、カジャを食べるもの」 |
笑っていただけましたか?・・・ では、【解説】
ネパールの食事は、1日2回で、ブジャといいます。このほかに、ネパール人は朝起きてチヤ(ミルクティー)と一緒に、パンやドーナツ、ビスケット、コーンフレーク等々を食べます。これをネパールでは、カジャといいます。商店主などは朝の食事が11時や12時になりますが、お腹空かないの?と聞けば、カジャを食べたから大丈夫、と答えます。午後は、適当な時間にインスタントラーメンやパスタ、じゃがいもなどのカジャを食べます。そして、夕方のブジャ。ネパールでは、米のご飯を食べるのがブジャと考えていますので、その他のものをいくら食べてもブジャにはなりません。従って、このような笑い話になるわけです。インドと共通の笑い話だとか。
下の写真は、「地球の歩き方」のものを使わせていただきました。基本的なネパールの食事セットが分かります。
(家庭で作る食事は、もっと質素です)

これは、私の友人の家で、私に作ってくれたものです。ご飯の量が少ないのは、私が山のようなご飯を食べないことを知っているからです。

2026年4月14日(ネパール暦2083年1月ボイサク月1日)火曜日
ネパールは、今日、暦のすべてが替わりました。
2083年の新年を迎えました。
カッコ書きの中身を書き換えました。
昨年の暦をはずして、始まったばかりの暦にかけ替えました。
「ナヤン バルサコ スバ カマナチャ」が、ネパールの新年の挨拶です。
言葉の並びは、日本語と同じですので、
頭から読むと、「新年(ナヤン バルサコ)おめでとうございます(スバ カマナチャ)」となります。
よい年であってほしいと、心から願います。
今年のボイサク月は、日本の今日4月14日から5月14日までの31日です。
元旦の今日は、休日で、暦の文字が赤くなっています。
挿絵もありますが、毎年同じ絵が使われるので、私にも一目でわかります。
でも、この絵、毎年見ていますが、どうしても新年の色に見えなくて、毎年、悩んでいます。
ネパールは、土曜日のみが週1回の休日ですから、もちろん、赤で書かれています。
日曜日は、赤ではありませんので、休日ではありません。
釈迦誕生日が赤い字で休日です。
日本式の日取りとは違います。
釈迦誕生日には、よく見るとプルニマと書かれた満月の印がありますが、
ボイサク(4月から5月)の満月の日が誕生日になっているからです。
この日は、メーデーで、ネパールでは休日なのですが、今年は、釈迦誕生日と重なっています。
こうして、ネパールの新年が始まりました。

2026年4月13日(ネパール暦2082年12月チャイト月30日)月曜日
今日は、ネパール12番目の月チャイト最後の日であると同時に、
ネパール2082年最後の日でもあります。
つまり、日本の2025年4月14日に始まったネパールの暦2082年の1年が終わる日です。
ネパールは、今日が大晦日、そして、明日、新年を迎えるわけです。
ネパールの新年は、毎年決まった日に始まるのではなく、4月半ばに始まり、次の年の4月半ばに終わります。
月の動きに基づいての暦なので、同じ行事が、毎年同じ日に行われず、1か月くらいの差で行われることも多いです。
新しい暦を見るとき、毎月の暦をめくりながら、
今年のダサインははやいね、遅いね、という風に話題になります。
新年を迎えるネパールの人たちですが、
暮だ、新年だ、という切り替えはないようです。
というのは、私が子供の頃から経験していた年末の大掃除、なんてやりませんし、
ネパール人の買い物広場が人たちでごった返した、という新聞の写真を見ることもありません。
そうした場面が新聞に載るのは、ダサインなどの大きな祭りに限られます。
時々、家じゅうのものと思われるカーテンが何枚も洗って、干された光景を見ることはありますが、
それが意識してやったことなのか、偶然なのか・・・私にはわかりません。
ともあれ、今日が大晦日で、明日が新年であることは間違いありません。
明日には、改まった場面が見られるかもしれません。
ともかく、朝の10時を過ぎたネパールの2082年の365日最後の日です。
2026年4月2日(ネパール暦2082年12月チャイト月19日)木曜日
ネパールでは、ネパール独自のものと日本と同じものの2つの暦が使われていますが、
日にちの呼び方が使い分けられています。
ネパール式のものには「ガテ」が、日本式には「タリック」が付きます。
例えばそれぞれの暦の「ついたち」をいうには、
1を表す「エック」の後に、「エック ガテ」「エック タリック」となるので、
こんがらがることはありません。
そのことについて、下の写真をご覧ください。

これは、今月のネパールの暦の一部です。
大きな字で書かれているのがネパールの暦で、書かれているのはネパールの数字です。
上から3行目が今週です。
そして、日曜から始まる今週の5日目。これが今日です。
ネパール歴のチャイト月19日(ガテ)、日本の4月2日(タリック)になります。
各マスの右下に書かれているのが、日本のカレンダーの日付ですが、
「2」と書いてあり、4月2日であるということです。
ネパールでは、このどちらを使用してもいいのは、銀行です。
私は、使い慣れた西洋式を、当たり前のように使っています。間違えませんからね。
人たちの頭にあるのは、当然のことながら、ネパール式の暦です。
季節の話や種まきの話も、ネパールの月の名前が次々に出てくるので、こんがらがってしまいます。
「寒い時の話ね」や「暖かくなり始めたころのことですね」などと言って、
自分で理解できるいい方に直して確かめることが多いです。
2026年3月29日(ネパール暦2082年11月チャイト月15日)日曜日
しばらくの間、お休みしました。ホームページを少し変えました。今回は、「きょうのネパール」に写真を載せられるようにしたかったので、私のコンピューターに関することすべての面倒を見てくれている人にお願いをしました。1週間はホームページを開けませんよ、と言われ、「きょうのネパール」を休むことにしました。10日経っても画面が変わらないので、彼に言いましたら、「あっ、忘れてた!教えてくれてありがとう」の、びっくりするような返事。そこからまた1週間近く、やはり仕事にとりかかっているようには見えませんでした。コンピューターに関するあらゆる仕事をしてるから、ま、待ちましょう・・・そして、10日ほど経って、仕事の具合を聞いたら、「できたよ」の返事をもらえ、こうして、彼に使い方を教えてもらって、今、ドキドキしながら今日のページを書いているところです。「少しずつ慣れればいいよ。わからないときは電話をください」の彼の言葉に励まされています。