2026年7月20日(ネパール暦2083年4月サウン月4日)月曜日
7月20日、今日は、私の忘れられない日のひとつです。
私とともに12年間暮らしてくれた「プリンス」の日です。
プリンスは、ネパールの山の犬、と聞かされて、私のところへやってきました。
番犬、ということでしたが、たしかにそうでした。
鳴き声が、それは、すばらしかった・・・
張りと艶があって、響き渡るようでした。
体は、私の目の前で、パッ!と一瞬で大きくなった・・・と思います。
頭からしっぽまでは1メートルはあったでしょう。地面から背中までの高さは、60センチくらいあったと思います。
散歩に連れて出ると、コントロールするのが大変でした。
吠えて、そっちへ行こうとするプリンスに引っ張られて、私は転び、そのおかげでプリンスの行動を止めたこともありました。
プリンス特集をいたします。お付き合いいただけると嬉しいです。

「いい男!」ですよね。

「階段から顔を出して、こんばんは・・・」

得意なポーズ「ペチャンコ」

「モッコイ(とうもろこし)を食べる」

「ボクも食べたいよ」

「日向ぼっこ」撮影者の私も一緒です。好きな写真です。

花と一緒に寝ています。

「階段を上ったけど・・・」手を出して、助けました。
2026年7月19日(ネパール暦2083年4月サウン月3日)日曜日
リングロードを時計回りに移動すると、パシュパティナートの次には、トリブバン国際空港に立ち寄ることになります。
この空港は、地図でもお分かりのように、リングロードに沿ったところにあります。

こうして、地図上で改めて見てみると、パシュパティナートのすぐ隣、であることが分かります。
この空港の出入り口は、いくつかありますが、
やはり、この出入り口が以前からのものですし、空港の出入り口として、紹介しておきます。

手前が、リングロードからの入り口で、ゲートをくぐった先に空港関係の建物が並んでいます。
このゲートには、「トリブバン インターナショナル エアポート」と、英語とネパール語で書かれています。
国際線の搭乗手続きをする建物です。

出発の人を見送る人々で、混みあっています。
見送りの人はここまでです。

国際線と同じ敷地内に、国内線乗り場もあります。
白い車の前にある道路が、国内線につながっています。

この空港の建物ですが、手が入り、中の様子がだいぶ変わりました。
きれいになって、だいぶ整理されてきた、といえるでしょう。
ここへきて、待合室に入ると、ちょっと緊張する、今も変わらない、私です。
2026年7月18日(ネパール暦2083年4月サウン月2日)土曜日
2026年7月17日(ネパール暦2083年4月サウン月1日)金曜日
ネパールは、2083年4月サウン月になりました。
日本の7月17日から8月16日までの31日間です。
2083年度の新会計年度が始まりました。
雨季の1ヵ月になります。
昨夜もまとまった雨の音がしていました。
この1ヵ月は、ヒンドゥ教徒の女性たちにとっては、
4回ある月曜日は断食をしてシヴァ神の寺に参る、特別なめでたい月なのです。
夫の長寿を祈る緑の腕輪と、メンディで手に描く模様が欠かせません。
メンディと言えば、先日早々と手の甲にメンディで模様を描いた女性を見ました。
若い人たちにとっては、ファッションの一つとして受け入れられているのかも・・・
歩道に模様の見本を並べた道端のメンディ屋さんを見かけるのも、今の時期です。
断食をしたりで、傍から見る私には、大変に見えますが、
当の女性たちには「楽しい」と言っています。
今日から、そうした月が始まったわけです。

2026年7月16日(ネパール暦2083年3月アサル月32日)木曜日
2026年7月15日(ネパール暦2083年3月アサル月31日)水曜日
ゴウサラチョークから始まるパシュパティナート寺院です。

赤い矢印が指しています。
ネパール最大のヒンドゥ教寺院です。
ガンジスの支流で、聖なる河とされるバグマティ川の川岸にあります。
ここを訪れて目につくのは、やはり、ガート(火葬場)からの煙と独特の臭いでしょう。
ここの神様シヴァは、破壊神と言われており、
2015年のネパール地震の時には、大きな揺れに揺られながら、シヴァが起こした、と口にする人もいました。
最近のパシュパティナートの様子は、5月18日に書いておりますので、そちらも参考にしていただければ、と思います。
特に大きな行事がなくても、いつも人々が絶えないパシュパティナートです。
2026年7月14日(ネパール暦2083年3月アサル月30日)火曜日
2026年7月13日(ネパール暦2083年3月アサル月29日)月曜日
今年の雨季の雨、いつもとはリズムが違うのでは・・・
明け方の雨が多く、気づくと雨の量の違いこそあれ、雨の音がしている朝が多い。
これまでの記憶では、新聞配達の頃、大体、5時半前後ではないかと思いますが、
その時刻に雨が降る日は少なかった・・・と覚えています。
が、今年は雨の日がいつもより多いのでは。
災害をもたらすような雨は降りませんが、今後の生活用水や農業用水が十分であるように、と願う気持ちは変わりません。
近所の小さな川の水が増えてきたようで、音も大きくなってきました。
静まった夜には、その音がよく聞こえます。
雨で明ける朝は、空気も気持ちよく、やがては顔を出す太陽の暑苦しさを忘れさせてくれます。
2026年7月12日(ネパール暦2083年3月アサル月28日)日曜日
次のポイントですが、ゴウサラ(Gaushala)になります。
ヒンドゥ教のお寺パシュパティナート寺院がある場所ですので、いつも人々の姿があります。
特に、祭りなどの当日は、寺参りをする人たちで混みあう場所です。
地図上の位置は、下の地図になります。

チョーク(交差点)からパシュパティナート寺院への道の写真ですが、

ここからは、道は緩い下り坂になっていて、パシュパティナート寺院は、この道に沿って左側にあります。
この写真では、上りも下りも空いていますが、私が経験した限りでは、混みあっている時間の方が多いように思います。
このゴウサラ・チョークから歩いて5分ほどのところにあるのがホテルドゥワリカです。
道路から一歩中に入ると、静かな空気が満ちていて、緑の葉っぱを見て、ほっとします。
このホテルドゥワリカについては、5月26日に書いていますので、そちらをご覧いただけると嬉しいです。
このホテル内にあるネパール料理のフルコースが食べられるレストラン・・・
一度行ってみたいのですが・・・
2026年7月11日(ネパール暦2083年3月アサル月27日)土曜日
2026年7月10日(ネパール暦2083年3月アサル月26日)金曜日
グルリと道路がつながっているリングロードですが、
ここをぐるっと一回りするには、その、はじめの場所が必要です。
私は、それを、ここ、チョコラパット(Chokorapat)としました。
私が住む所からカトマンズの中心部に向かうとき、ここチョコラパットで、リングロードに出合うからです。
私にとっては、最も慣れ親しんでいるチョコラパットチョーク(交差点)(Chokorapat Chowk)ですが、
ここは、チョコラパットのほか、
マハラジュガンジュ(Maharajuganj)やナラヤン・ゴパルチョーク(Narayan Gopal Chowk)などとも呼ばれています。
リングロードの地図では、下の矢印がそうです。

ここを起点に、右肩を内側にして回る「時計回り」で、一回りします。
まず、チャーベル(Chabahill)です。


ここがチャーベルの交差点で、車やテンプーが向かっている方向は、ここでリングロードを外れ、サクー(Sankhu)へ向かいます。
その道沿いには、ネパール人初の女性登山家としてエヴェレスト登頂を果たしたパサン・ラム・シェルパ(Pasan Lham Sherpa)の銅像や、

ホテルハイアット(Hotel Hyatt)、

ボウダナート(Boudanath)などがあります。

ここの交差点は、一日中混雑しています。
ボウダナートへ行くたびに、乗り換えたりする交差点ですので、だいぶ慣れ、私の生活の一部になっている場所です。
2026年7月9日(ネパール暦2083年3月アサル月25日)木曜日
2026年7月8日(ネパール暦2083年3月アサル月24日)水曜日
カトマンズは、「リングロード」と呼ばれる環状線に囲まれています。
一周27キロの道路です。
この数字を知った時は、ある種のショックを受けました。
「えっ?そんなに短かったの・・・?」と。
もっともっと長いと思い込んでいましたので。
でも、この時はタクシーの運転手と一緒で、タクシーのメーターで確かめましたので、まず間違いはないだろうと。
距離についてはあとで、もう一度確認するつもりではいますが。
この、「リングロード」には、以前から興味を持っていました。
いちどぐるっと回ってみたい・・・
長年の思いを叶えるため、思いだけではなく、バスに乗って、乗ったところと降りるところが同じ経験に挑戦?しました。
その時は、渋滞などの道路事情や、バスが道々人々に呼び掛けて乗客を拾うために、随分と時間を使い、
一周するのに要した時間が2時間近くかかったこともあって、私の頭の中には、「リングロードは長い!」の印象が強くなっていました。
でも、リングロードは面白くて楽しい!の思いが強く、場所を区切って乗ってみることにしたのですが、
その始まりのために、まず、地図を載せてみます。

ぐるっと途切れない道路があります。これがリングロードです。
この道路は、一部パタンを走っています。
地図の下の方に、左から右へ流れる川がありますが、この川の下の部分がカトマンズ盆地の古都の一つパタンです。
何回かに分けて「バスでのリングロードの旅」をお届けします。
2026年7月7日(ネパール暦2083年3月アサル月23日)火曜日
2026年7月6日(ネパール暦2083年3月アサル月22日)月曜日
2026年7月5日(ネパール暦2083年3月アサル月21日)日曜日
2026年7月4日(ネパール暦2083年3月アサル月20日)土曜日
私が暮らす場所での、小さな小さな田植え。
モミ種まきに始まって、田植えまでの様子を見てください。
①モミ種をまく作業

(芽が出始めた田んぼの様子を撮るべきでした・・・)
②育った苗を抜いて、田植えの準備

いよいよ田植えだな、と私は道端に立って、人たちの仕事を見ていました。
私の家は、農家ではありませんでしたが、水が入った田んぼ、苗・・・が、子供の頃の風景を呼び起こします。
嬉しい!気持ちで作業を見ていました。
③代かき(この作業は、「男の仕事」です)

④田植え(こちらは、「女の仕事」ですね」

⑤翌朝の田んぼ

ネパールの農作業の道具

短い柄が特徴です。
畑を起こすときにも使います。
柄が短いので、体にかかる負担が大きいのでは、と思いますが。
ネパールは米の国です。
ネパールで「ご飯を食べる」といえば、米のご飯を食べる一日2回の食事(ブジャ)をさし、
米を食べずに麺類やモモ(餃子)などを食べることは、カジャ(おやつ)といっていますが、
いずれにしても、腹いっぱい食べることにかわりません。
ネパールには、「田植えの日」があります。
この日の前から各地で田植えが始まりますが、国は田植えの日を定めています。
新聞の写真の切り抜きですが、鳴り物入りで田植えを祝います。

いい習慣!いい風景!です。
おいしい米がたくさんとれますように!!
2026年7月3日(ネパール暦2083年3月アサル月19日)金曜日
2026年7月2日(ネパール暦2083年3月アサル月18日)木曜日
2026年7月1日(ネパール暦2083年3月アサル月17日)水曜日
7月になりました。
昨夜から雨の音が続き、明け方、私が目を覚ました時にも、静かな、でも、まとまった雨が降り続いていました。
今朝のゴミ収集の仕事は、強くはありませんでしたが、雨の中で行われていました。
ごくろうさま・・・
9時半になろうとする今は、窓からは冷えた、気持ちよい空気が流れ込んでいます。
こんな朝は、最高!の気持ち。
昨日の、暑苦しくて、体ににじむ汗のない、それはそれはこれ以上はない、幸せなひと時になっています。
昼間の暑苦しさは、これもカトマンズには必要なんだと、わかった気持ちで過ごすことにして、
今は、この涼やかで体をリフレッシュしてくれる小さな風の動きをうけながら過ごす午前中を幸せと思っています。
2026年6月30日(ネパール暦2083年3月アサル月16日)火曜日
2026年6月22日(ネパール暦2083年3月アサル月8日)月曜日
2026年6月21日(ネパール暦2083年3月アサル月7日)日曜日
(休日)
2026年6月20日(ネパール暦2083年3月アサル月6日)土曜日
(休日)
2026年6月19日(ネパール暦2083年3月アサル月5日)金曜日
2026年6月18日(ネパール暦2083年3月アサル月4日)木曜日
昨夜は、久しぶりに雨の音を聞きました。
ただ、どのくらいの雨が降ったのか、どのくらい長く降ったのか、確かめることはできませんでした。
朝、隣の家の屋根や道路がしっかり濡れていることはわかりましたし、
乾き始めている状態でないことはわかりました。
9時半の今は、太陽が出ており、周りの家々が明るく照らされています。
今日も暑くなりそうです。
少しでもいいから、昨夜のような雨、降ってほしいです。
2026年6月17日(ネパール暦2083年2月アサル月3日)水曜日
2026年6月16日(ネパール暦2083年3月アサル月2日)火曜日

ネパールは、昨日から、今年の3か月目アサル月になりました。
この月は、雨季が始まる月なのですが、今年は、私が知る限り、いまだに「雨季になった」という記事を見ていません。
でも、空の具合や雨の降り方を見ていると、「雨季」と言っていいのでは、と思う天気の日々です。
今年のアサル月は、日本の6月15日から7月16日までの32日間です。
土曜日以外の休日はありません、と言いたいのですが、今は、日曜日も休日になっているそうですので、土日が連休のようです。
昨日、銀行へ行って確かめましたので、多分、そうなのでしょう・・・
アサル月15日は、「田植えの日」のはずですが、
今年私が買ったカレンダーには、その記述が抜けていて、首をかしげている所です。
(上の暦、3週目の左から2日目、右下に小さく「29」とありますが、日本の6月29日のことです。その枠に書いてあるのがネパールの数字で、「15」を表しています)
ネパールは、米を食べるご飯の国です。
前にネパールの笑い話として紹介しました「ブジャとカジャ」でお分かりのように、
ネパールでは、米のご飯を食べる「ブジャ(食事)」と米のご飯を食べない「カジャ(おやつ)」は別のものと考えています。
で、一日2回とされるブジャ、つまり、朝夕の食事のほか、中間で食べるカジャをあわせれば、結局日に3回は食べているのです。
米の苗を植える日が「田植えの日」とされていて、この日は、国中で祝います。
今年は、肥料の値上がりなどを心配する声がありますが、田植えが順調に行きますように、と願います。
ここのところ、午前中の早いうちは雲があって、心配させるのですが、
昼が近づくと太陽が出てきて、暑苦しさをもたらします。
そうした日が続いているカトマンズです。
「夜、雨が降ればいいのにね」の声を聞く日々です。
2026年6月15日(ネパール暦2083年3月アサル月1日)月曜日
2026年6月14日(ネパール暦2083年2月ジェト月31日)日曜日
ネパールの12支の話。
ネパールの12支は、ネズミ、ウシ、トラ、ネコ、ワシ、ヘビ、ウマ、ヤギ、サル、トリ、イヌ、シカです。
私が初めてネパールへ行ったのは、4月初めでしたから、10日後くらいで年号が変わるときでした。
その時、道にかけられた大きな横断幕に12支の動物のうちのどれだったのか、今は記憶がないのですが、
確か、動物の絵が書かれていました。
その時に、ネパールにも12支があるのかな?と思ったことを覚えています。
12年で一回りする12支に関係して、ネパールの人からこんな話を聞きました。
「人が亡くなって、12支が7回りすると、その人の生まれかわりの人が誕生する、というのです。
12支の7回り・・・つまり、12×7で、84年後ということになります。
心がびくっとしました。
84年・・・
長いです。
亡くなって84年と言えば、亡くなった人を覚えている人はいないでしょう。
でも、別の人となって生まれ出る・・・
こんな仕組みがあるんだ・・・
ということは、私は、私の誕生の84年前に亡くなった人に替わって生をうけた・・・ことになります。
私は、この流れの中で生まれ、これまでこんなことを考えてもみなかった・・・けれど、
長い時間の中のほんの一瞬であっても、かけがえのない時間の中にいた・・・
絶え間ない時間の中で「私」は、ごく短い時間を過ごしているわけだけれど、
私に替わって生きてくれる人が私の死後、84年後に生まれてくれ、そして、それが繰り返されていくのであれば、
繰り返される時間の中で滅び去ることはないのだ、と、心がほっとします。
いい話を聞きました。
2026年6月13日(ネパール暦2083年2月ジェト月30日)土曜日
(休日)
2026年6月12日(ネパール暦2083年2月ジェト月29日)金曜日
私が日本にいた時、といっても、私がまだ、子供だった時から大人になるまでを通じてですが、
こんな経験してなかった・・・と思うことです。
ネパールで、店に電球を買いに行った時のこと、
電球をカバーから外して、そこにあるコンセントに差し込み、スイッチを入れます。
電球は、パッと明るくなって光り続けます。
「点きますね」というように、店の人が私を見ます。
私はうなづき、そして、代金を払って、電球をもらう。
初めてこうした場面を見た時は、、びっくりしました。
店の人は、電球が壊れていないかどうか、を確かめたのです。
こんな経験初めて!でした。
私は、これに「電灯テスト」と名前を付けました。
スーパーで電気釜を買った時には、
空の電気釜をコンセントにつないで、オッケーかどうか、ランプの点灯を確かめました。
このテストは電気製品のみではなく、ガス・クッキングテーブルを買った時にも行われました。
なんと、プロパンガスにつないで、火がつくかどうかを確かめたのです。
最近、延長コードを買ったのですが、その時には、こうしたテストは行われませんでした。
というのは、この品物は、しっかりとした包装がされていて、さすがのネパールでも、これをいちいち破ってまでのテストはできないようです。
国のやり方の違いや、販売量などの違いが、こうしたやり方になっているのでは、と思っています。
最近主流の『電気あんか』、利用者が多分増えていると思われるインダクションの調理台などでも、客の目の前でこうしたテストが行われています。
小さな場面で行われる、店の人と買い物客との確認場面、ちょっといいものです。
2026年6月11日(ネパール暦2083年2月ジェト月28日)木曜日
2026年6月10日(ネパール暦2083年2月ジェト月27日)水曜日
このところ、蒸し暑い日が続き、いつものこの季節になった、と思っていました。
昨日の夕方の雨、大降りで、屋根に当たる音も大きくて、怖さを感じました。
6月の中旬になろうとしていますが、これまで、今年の雨季予想・・・あったのかな・・・
ずっと前に、雨の量が少なさそう・・・というような記事があったような・・・気がしますが。
雨季の3ヵ月で残り9か月の生活用水などを賄うネパールですから、
雨季の期間中の雨量が大いに気になります。
それにしても、昨日の雨は、すごかった。
久しぶりに、嚙みつくような雨の音を聞きました。
そして、過去の経験から、こうした怖い雨が降る日もあるのだ、と、あらためて気づきました。
今は朝7時半。
昨日の名残りなのか、空には雲が多く、窓からの風は、フレッシュで心地よい中に、それを越えた冷たさがあります。
2026年6月9日(ネパール暦2083年2月ジェト月26日)火曜日
ネパールでは、窓に「グリル」と呼ばれる格子をはめてきました。
いつごろから始まったものなのか、確かではありませんが、鉄でできた格子を窓にはめてきました。
もともとは、泥棒除けのために作られたもののようです。
これがはまった窓からは、外へ逃げることはできませんから、それ故の悲劇もあったようです。
デザインは、きわめてシンプルなものから、凝ったものまであります。








上の写真の一部です。

今新しく作る家の窓には、アルミサッシが使われることが多くなりました。
そして、今もそこに格子が取り付けられていますが、これを取り付ける目的を果たすには、シンプルなもので十分という考えからなのか、
上の写真のような、手の込んだものを見かけなくなっています。
以前、カトマンズで泥棒騒ぎが続いた時には「せめて1階にグリルがついている部屋に住んでください」
という意味のメールが、在ネパール日本大使館から送られたことがあります。
泥棒除けの窓の格子、これも「変わりつつあるもの」の一つといえるでしょう。
2026年6月8日(ネパール暦2083年2月ジェト月25日)月曜日
2026年6月7日(ネパール暦2083年2月ジェト月24日)日曜日
カトマンズのトリブバン国際空港は、カトマンズ中心地から約6km東にあり、カトマンズを囲むリングロードを走るバスで行くこともできます。
1955年に作られた空港は、かつての王様の名前トリブバン・ビール・シャハを記念してつけられました。

(空港の入り口。「トリブバン・インターナショナル・エアポート」と書かれています)

(その裏には、「ネパールへようこそ」の文字が」
国内線も同敷地にありますが、国際線の建物が見えると、左へ行く案内があります。
この道の先に国内線ターミナルがあります。

(左は、国内線ターミナルへ、スズキアルトの後ろ姿が見えるのは国際線ターミナルへの道です)
見送りの人たちが入れるのは、ターミナル内までで、手荷物検査カウンターの手前までです。


そこで出発の人と別れをします。
ネパールの国際空港は、トリブバン国際航空のほかに、2023年にポカラに新しく作られた国際空港がありますが、
稼働率やどこの国の飛行機が飛んでくるかなどは、私はつかんでおりません。
20数年前から見ますと、トリブバン国際空港は随分変わりました。
整備され、きれいになってきた、と言えると思います。
お客様の見送りに行くと、海外に働きに行くネパール人と、見送りの家族、関係者などで、いつも混みあっています。
こうした見送りの人、
または、何年か外国で働いた後帰国する息子などを迎える人たちの心の動きが、手に取るように見える国際空港です。
2026年6月6日(ネパール暦2083年2月ジェト月23日)土曜日
(休日)
2026年6月5日(ネパール暦2083年2月ジェト月22日)金曜日
最近、といっても、もう2か月くらいは経った・・・と思いますが、
バス料金が上がっています。
値上げの時期だったのか、それとも、イランの問題が関係しているのか、わかりませんが、
簡単に言うと、5ルピー(日本のおよそ5円に相当)上がりました。
それを知らなかった私は、前と同じ料金25ルピーを渡しました。
すると、車掌が「アマ(お母さんのこと。年齢の多い女性に、尊敬をして呼びかける言葉)、30ルピーになったんです」と言うので
びっくりして、「あれっ?そうなの?」と問い返すと、こっくりしましたので、5ルピーをプラスして渡しました。
そしてつい最近、同じことでもめる場面に出くわしました。
女性二人が出した料金に対して、車掌が「二人であと10ルピー足りません」と言い、
それに対して二人が「ここまで25ルピーでしょ!」と強く言い返し、車掌がさらに強く言い返しました。
こうした時の女性は、声は大きいし、耳に入ってくる声には迫力があります。
同じやり取りを2,3回繰り返し、車掌は、「事務所に行って聞いてくれ!」と言っていました。
最後は、女性客が不足分の10ルピーを支払って、静かになり、ヤレヤレ・・・
こんなやり取りを何回も繰り返しているのでしょうから、車掌さんも大変です・・・
2026年6月4日(ネパール暦2083年2月ジェト月21日)木曜日
2026年6月3日(ネパール暦2083年2月ジェト月20日)水曜日
トイレの話題って、なんとなく取り上げにくいのですが・・・思い切って。
カトマンズで見かけ、利用するトイレには2種類あります。様式と和式です。
ホテルや新しいレストランに設置されているのは、洋式です。
こうした所での問題はないのですが、カトマンズの洋式トイレは、座るところに水がかかっていることが多いです。
トイレットペーパーが置いてあればそれで拭き取れますが、
まず、一般のトイレにはそうしたものはありませんので、自分で拭き取ることになります。
その上、街中のレストランにしても、一応、こうした共同のトイレでは、便座が壊れている店などが多いのです。
これは、やはり、困りものです。
そんなこんなで、私は、外出先では和式の方がいいと思っています。
というのは、ネパールでは、床も含めてトイレ全体に水を掛けますから、きれいになっているのです。
今は、公衆トイレの数も増えていますが、そうしたトイレは、私が知る限りでは和式です。
そして、トイレ内の蛇口をひねれば置いてあるバケツに水がたまるので、その水を流せばいい、ことになります。
私は、こうしたトイレを利用するたびに、これはいい方法だ、といつも思います。
今は、公衆トイレの無料化が進んでいます。
利用の際、5ルピー、10ルピーと料金を払っていましたが、もちろん、今も有料のところもあります。
もっとも最近で、料金を払ったのは、ナヤ・バスパークのトイレでした。
思い切って、これでもか、の勢いで水が撒いてあったので、何の心配も不快感もありませんでした。
街中でも、たぶん、市が依頼したであろう「トイレ」の看板を掛けた商店などを見かけます。
私は、まだ、こうしたトイレを使ったことはありませんが、観光客や私のような買い物客にはいい方法だと思います。
トイレがあるとわかっているだけで、安心感があります。
こうなると、以前、街で見かけていた「移動トイレ」がなくなっていきますね。
そういえば、それを見なくなって、もう、だいぶになります・・・
洋式トイレの便座が濡れているのは、この、水をかけてトイレ掃除をする、というネパールの習慣によるものである、と、今の私は理解しています。
あまり目立たず、また、あって当たり前のような所でも、カトマンズは変わっています。
2026年6月2日(ネパール暦2083年2月ジェト月19日)火曜日
バスパークの隣のバス停マチャポカリでバスを降りました。
ここの交差点から、以前私がトレッキングの目的で乗ったバスが発着するからです。
昼近かったので、待機するバスは少なかったですが、あの時、ここから出発しました。
ローカルバスなので、沿線の人たちがたくさん乗り合わせ、貸し切りの観光バスでは見られない場面を見ました。
車内が人や荷物で埋まって、足の踏み場がなくなると、客が持ち込んだ大きな袋を踏んで進む、
といった、そんなことしていいの?と言いたくなるような場面もありました。
ここから出発した・・・と、懐かしく思いました。

そこから、バスを利用してリングロードを行くつもりでしたが、ふと、気が変わりました。
ここから今私が行きたいところはそう遠くないはず。
だったら、バスはやめて、歩いて行こうか・・・
で、途中で写真を撮りながら、ゆっくり歩きました。
最初は、車が行きかうリングロードを歩きました。
ここ、歩いてもいいのかな・・・と思いましたが、
バスを待つ人たちが道に立っているし、
中には、手をつないで堂々と歩いてくる人もいるので、私も自信を持って歩きました。

(右側のトラックは停車中ですので、ご安心を。)
途中から、脇道に降りて、そこを歩きました。
リングロードとの間に空き地が確保してあり、車とはある程度の距離があって、車道を歩くよりずっと安心感があります。
やっぱりこれでよかった、とほっとしました。
ここも車やバイクは通りますが、台数もそう多くはなく、やはり、車道を歩くよりは、安心ですし、あちこちに気を配ることもありません。

(草が生えている空き地をはさんで、左側がリングロードで、右側が私が歩いた道です。この道の右側には家が並び、しっかりとした歩道が作られています)
少し歩いて、前方斜め前を見ると・・・丘の上に建つスワヤンブナート寺院が目に入りました。
ここからも見えるんだ!と嬉しくなりました。

そして、目的のバラジュに到着。ヤレヤレ・・・
私の足で、12,3分で着きました。
こんな歩きもまた、楽しいものです。
2026年6月1日(ネパール暦2083年2月ジェト月18日)月曜日
カトマンズのナヤバスパークについて、書きます。
「ナヤ」は、「ニュー」のことを言い、「ナヤン バルサコ スバカマナ(新年おめでとう)」などと使われます。
リングロードという名の、カトマンズ盆地をぐるりと囲む道路にあるパスパークです。
以前から、一度行ってみたいと思っていましたが、先日、その思いがかないました。
ナヤバスパークは、ネパール各地への長距離バスのほか、主にカトマンズ盆地を走るローカルバスの発着場でもあります。
私が、このバスパークについてのニュースを見るのは、
主にネパール一の国民的な祭りダサインを控えた各地域のバスのチケット売り場の混雑具合が、新聞に取り上げられるときだけでした。

(今の時期は、人も少ないようです)
私も、ネパール各地への長距離バスを利用したことはありますが、
始発場所は、このバスパークではありませんでしたから、今回、初めてナヤバスパークへ行ったわけです。
バスを降りて、バスパークへの道を歩き出した途端、目に入ったのは、これまで見てきた店の様子とは違っていました。
ここで初めて見たカトマンズの一面でした。
菓子屋がずらっと並んでいます。

店の中には、袋詰めの菓子がびっしり並んでいます。

初めて見る光景にはじめは驚きましたが、すぐに納得しました。
田舎へ帰る人たちが買って帰るみやげ品の菓子に違いない、と。
日本でも、駅の構内やテレビで見た「何処どこみやげに、〇〇菓子はいかがですか」などの広告が、確か、あった、と。
ああ、それと同じ・・・と。
なぜか、ネパールの人たちにより親近感を覚えたのです。
国は違っても人たちの気持ち、やることは同じなんだ・・・と、心がポッとし、顔もやさしくなったようでした。
こうした光景を見て、バスパークの意味を、改めて思い返しました。
こうしたみやげを下げて故郷へ帰る人たちの弾む心と姿が浮かびました。
そして、いよいよバスパークの中へ。
それらしく仕切られ整理されたバスパークの中でした。

長距離バスのボディに画かれた思い思いの絵柄。
写真を撮りました。

(シバ神)


(日本にも、こんな言葉あったな・・・と、撮りましたが、完全ではありませんでした・・・
クイズです!埋めてください)

(25年前に犠牲になった当時の王様の家族写真を掲げる、ネパール愛溢れる図柄!)
リングロードとバスパークへの出入り口は、いつも休むことなく、出るバス入るバスの行き来が続いています。
出ようとするバスの一台にはネパール語で「Bhairahawa」と書かれていて、
これからネパール南部のルンビニの入り口バイラワまでの長い旅に出るのだな、と知りました。
常に出入りのバスの動きがあり、活気に満ちています。
う~ん、いいもんだ・・・
見送りなどで訪れる車やバイクの駐車料金の看板がありましたので、参考までにご覧ください。

モーターサイクル:30分15ルピー、1時間25ルピー、車:30分40ルピー、1時間75ルピー
*1ルピーと日本の1円は、ほぼ同じと考えてください。
バスパークを出て、向こう側に渡ろうとしたのですが、
そこで交通整理をしていたおまわりさんに「向こう側へはどうにして渡ればいいですか」と声を掛けました。
「ここを横切ればいいんだよ」と、やっぱりね、の返事が返ってきました。
そして、笛を鳴らして、車やバイクを抑えてくれたので、お礼を言いながら結構大きな交差点を渡り切りました。
「ここに歩道橋を作ればいいのに・・・」とおまわりさんに言うことも忘れませんでした。
おまわりさん、ありがとう!
最後にもう一つ。
バスパークには、ネパールと日本の名前が並ぶこんなボードがあります。

KATHMANDU
BUS TERMINAL
CONSTRUCTED UNDER THE GRANT AID OF
THE GOVERNMENT OF JAPAN
AS A TOKEN OF
FRIENDSHIP AND COOPERATION
BETWEEN
NEPAL AND JAPAN
1993
旅の出発点でも、到着点でもある心がはずむバスパーク。
また来たいな、と思う場所です。
2026年5月31日(ネパール暦2083年2月ジェト月17日)日曜日
2026年5月30日(ネパール暦2083年2月ジェト月16日)土曜日
(休日)
2026年5月29日(ネパール暦2083年2月ジェト月15日)金曜日
「ガナタントラ ディアス(Ganantantra Diwas)」は、ネパールの「共和制記念日(Republic Day)」です。
毎年ネパール暦のジェト15日に祝われる国民の祝日です。
以前、新聞は、今日のことを
『民衆が専制政治に勝った日であることを忘れず、文化の発展と人民主権の回復へと導く、一般大衆による政治的勝利を達成する日』と書いています。
240年続いた王制を廃止して、共和制に移行した日です。
2008年4月から行われていた反国王運動が最後の盛りあがりを見せ、道路を埋め尽くした人々がネパール最後の国王に迫り、実権をはく奪しました。
国王は王宮を去り、国は2008年より共和制へ移行し、その後、大統領制や国名変更、新憲法制定などを行っています。
今年は、18回目の記念日です。
当時、集会に参加した男性の興奮した語り口から、人々の盛り上がりが伝わってくるのを感じました。
もう、18年、経ったのですね・・・

(一度見たら忘れられないネパールの国旗です)
2026年5月28日(ネパール暦2083年2月ジェト月14日)木曜日
2026年5月27日(ネパール暦2083年2月ジェト月13日)水曜日
2026年5月26日(ネパール暦2083年2月ジェト月12日)火曜日
ホテルドゥワリカは、パシュパティナート寺院に近いゴウサラの交差点から少し歩いたところにあります。
先日、10年以上ぶりに行ってみました。
イタ(レンガ)で作られたホテルです。
私は、食事のために寄ったのですが、イタの色と雰囲気が何ともいいです。

(入り口は、道路に面しています)

(大きすぎない木々の緑が新鮮です)

(プール)

(日本食レストランで。右側のレンゲは、みそ汁用のものです。どの日本食レストランでも、このレンゲが出てきます)

(いい雰囲気のホテルと、あらためて思いました。ピンクのアジサイが咲いていました)
2026年5月25日(ネパール暦2083年2月ジェト月11日)月曜日
最近、蒸し暑くなりました。
昼間だけではなく、夜も部屋を窓を閉めると、部屋の空気がムッとして、息苦し感だけが満ちてきます。
30センチより小さい扇風機を買い、今は、便利に、気に入って使っています。
カトマンズでももちろん扇風機は売っていますが、
家庭での普及率がどのようなのか、私にはまるきりわかりませんが、
電気店では、夏の今、目立っています。
何年か前に私が買ったテーブルファンは、強弱の切り替えはあるのですが、
最弱にしても、私には強すぎる風で、その辺のものがみんな吹っ飛ぶ勢いでした。
それが嫌で、というのは、私がほしかったのは、優しい風が吹く扇風機で、
私的には、部屋の空気をそっと揺すってくれる風を送ってくれればそれで十分で、
部屋の空気を少しだけ動かしてくれる風がほしかった・・・のですが、
これまでに買った何台かの扇風機に、残念ながら、合格のものはなかったのです。
で、小さなものを探しました。
運良く、希望のものに出合い、今は、紙を吹き飛ばさず、私に送られる風も、ま、いいでしょう、と感じています。
窓を開けていると、適度な弱さで入る風が、何とも言えず心地よく、やはり、この自然の風が一番、と思います。
自然の風と、作られた風の違いを感じながら、今年の夏は、この扇風機の風で過ごそうと思っています。
2026年5月24日(ネパール暦2083年2月ジェト月10日)日曜日
2026年5月23日(ネパール暦2083年2月ジェト月9日)土曜日
(休日)
2026年5月22日(ネパール暦2083年2月ジェト月8日)金曜日
【大きな不安】
今年のインドは、雨の量が少なくて、水不足になるのではないか・・・
肥料がなくて、米や野菜が育てられるのか・・・
そうであれば、飢饉になる・・・のでは、という怖い話を聞きました。
ネパールも、田植えの季節になりますし、
米をはじめとして、毎日必要な野菜が作れなくなったら・・・と思うだけで、不安は大きくなります。
ネパールは、インドに頼っているので、食糧問題が起きるでしょう。
ガソリンやプロパンガスにも影響があるでしょう。
タクシー運転手は、ぺトロール(ガソリン)が高くなって・・・とこぼしています。
小さな力のない国は、どうなるのだろう・・・
毎年、雨季を迎えると、十分な雨が降りますように・・・と、祈る気持ちになりますが、
今年は、それだけでは済みそうもない・・・大きな不安を抱える日々になりそうです。
田や畑で米や野菜作りに精を出す農家の人たちの喜びが絶えませんように、
そして、食糧問題に悩まされることのないように、と願うばかりです。
2026年5月21日(ネパール暦2083年2月ジェト月7日)木曜日
【モモの数】
ネパールには、「モモ」と呼ばれる日本式に言うなら「餃子」があります。
私が知る限りでは、この中身は「チキン」「ベジ(野菜)」「バフ(バファロー)」が主です。
私はこれまでに、この3種類をすべて食べました。
店による中身や味の違いがあるのは言うまでもありません。
また、調理の仕方も「蒸し餃子」「揚げ餃子」などがあります。
ネパールのモモは、一皿10個です。

日本食レストランでは、このモモの数にだいぶ悩むようです。
はじめは、(たぶん)日本式に6個の餃子を乗せていたのですが、それが10個になった時がありました。
店の人に聞くと、「お客さんが、6個では少ない、と言った」そうで、数を増やしたのでしょう。
その後、餃子の数が8個になり、今もそれが続いています。
たくさん食べるネパール人も納得、ということなのでしょう。
モモの別の話題も別の機会に取り上げます。
今朝は、時間は短かったですが、2回に分けて雨が降りました。
今は、すぐそこの山がモヤに覆われて、はっきりしません。
歓迎できない天気が続いています。
2026年5月20日(ネパール暦2083年2月ジェト月6日)水曜日
【ネパールのご飯論法】
私が以前にこの欄で書いた話題ですが、
| A「私たち、ブジャを食べないと、死んじゃうよね」 B「そんなことないさ」 A「どうして?」 B「だって、カジャを食べるもの」 |

(「ブジャ」と言えば、ネパール式のご飯セットです)

(ネパールの餃子「モモ」は、カジャのひとつ)

(えらく黒く焼けてますが、ナンも、ネパールではカジャです)
私がネパールの中学生だった少女に教えてもらった、ネパールとインドに共通の笑い話として、紹介しました。
これは、米のご飯を食べるのが、「ブジャ」で、米を食べないのが「カジャ」と、食事とおやつを使い分けるものです。
ネパールでも、「ブジャ カヨ?(ご飯食べましたか)」と、「カジャ カヨ?(おやつ食べましたか))」
を使い分けています。
米を食べる、食べないは、私にはどちらも食べることであり、食事をすることでしたので、
自分の中で区別することはありませんでした。
ですから、人に「ブジャカヨ?」と聞かれると、チヤ(ミルクティー)とパンであっても、「はい、食べました」と答えていました。
でも、ネパールでははっきりとブジャとカジャを区別しています。
ですから、生じる笑い話、なのですが。
つい、2,3日前、日本の国会中継やジャーナリストなどのYOUTUBE動画を見ていると、「ご飯論法」が耳に入りました。
動画作成者の解説を聞いて、あの笑い話じゃないか!と思いました。
動画作成者は、『「直接、実際に会ったことはないが、オンラインで会った」ということは、
「ご飯は食べてないけれど、パンは食べた」ということ』であると説明していました。
ウィキペディアには、「提喩を用いることによって質問に正面から答えず、論点をずらす論法。「朝ご飯は食べたか」という質問を受けた際、「ご飯」の意味を故意に狭い意味として解釈し、例えばパンは食べたにもかかわらず、「ご飯(米飯、白米)は食べていない」と答えるように、質問側の意図をあえて曲解し、論点をずらし回答をはぐらかす手法である」と書いてあります。
私が単なる笑い話として聞き、それ以上の意味を考えてみなかった話でしたが、
こんな意味もあったのか、と驚き、改めて笑い話を読み返しました。
2026年5月19日(ネパール暦2083年2月ジェト月5日)火曜日
2026年5月18日(ネパール暦2083年2月ジェト月4日)月曜日
ネパール最大のヒンドゥ教寺院パシュパティナートです、といって
どの場面を紹介すればいいのか、迷いますが、
私の中で一番ここを象徴する場面として残っているのは、ガート(火葬場)です。
で、その場面を。
パシュパティ寺院ですよ、と教えられて、まず、目に入るのは煙でしょう。
バスからもはっきり見えます。

近づくと、独特の臭いがあります。
ギウ(精製バター)を燃やすので、たぶん、それではないかと。
私が訪れた日は、ガートの火葬台が使われていたのは3つでした。

屋根の下に並べられた椅子に腰掛けた関係者の姿が見られました。
今の時期にしては、川の水量が目立って少ないとは思いませんでした。
このバグマティ川は、聖なる河ガンジスの支流です。
川を挟んで、ガートの反対側は石段になっていて、
かつて、元首相の火葬の際には、そこが死を悼む人たちでびっしり埋まっていました。

***
政府が言う貧民の住居が立ち並んでいた場所です。
私が行ったときには、政府の通告通り、一軒の家もなく、
あるのはつぶされた家々を作っていたイタ(レンガ)や、セメント、鉄骨などだけでした。

そこで、鉄筋などを集めていた廃品回収の男性に聞きました。
「ここは、壊されてまだ、間もないですよね」「そうだね」
「ここにいた人たちは、どこへ行ったんでしょう」「わからない・・・」
公園あとには、ここの居住者のために設置されたであろう、
そして、まだそう日が経っていないのでは、と思われる遊具が残っていました。

パシュパティ寺院の敷地にあった、政府がそう呼ぶ貧しい人々の住居、
この場所を今後どうするのか私にはわかりませんが、
これが発展の始まりとでもいうのでしょうか。
2026年5月17日(ネパール暦2083年2月ジェト月3日)日曜日
今住んでいる場所、といえばいいのかどうか迷いますが、
これまでに暮らしていた場所と比べて、と言いなおしてみますが、
鳥などを見る機会が少なくなっているように思います。
カラスやスズメは当たり前のようにたくさん姿を見ていましたし、
家で飼われる鳩より小さなサイズのものだったり、カワセミがやってきたり・・・
名前はわからないながらも、いろいろな鳥を見たのですが、
場所が変わったり、家の周りの空き地の大きさだったりが関係しているのでしょうか。
今の場所では、見かける鳥の姿がぐっと減っていて、寂しいです。
カタツムリを先日見ましたので、写真に撮りました。

この状態で5~6センチでしょう。
久しぶりのカタツムリでした。
子供の頃見ていたこうした生き物を見るのは、やはり、嬉しいです。
カタツムリの次は、やはり、ホタルを期待しましょう。
家の近くに小さな川があるのですが、ホタル、飛ぶでしょうか。
飛んだら、こんなに嬉しいことはありません。
楽しみにします。
2026年5月16日(ネパール暦2083年2月ジェト月2日)土曜日
1975年の今日5月16日、田部井淳子さんが、女性最初のエヴェレスト登頂を果たしました。
その時から50年たったわけです。
ネパールの人たちに、「ジュンコ タベイ」として田部井淳子さんはよく知られています。
ポカラの国際山岳博物館には、田部井淳子さんの装備も展示されています。
エヴェレストは今、春の登山シーズンです。
新聞で、最高齢登山や、最速登山、最多回数登山などの話題が取り上げられますが、
「最初の登頂者」の記録だけは塗り替えられることなく、永遠に続きます。
その意味で、エヴェレストの話題を目にすると、ジュンコ タベイを誇りに思います。
田部井さんが亡くなった時、亡くなったことを悼んで、横断幕を作って掲げたネパール人がいます。
その人は、何かの時に横断幕を作りましたが、田部井さんの横断幕も作ってくれました。
今は、姿を見ていません・・・
エヴェレストに関する忘れられない私の思い出ですが、
エヴェレスト初登頂の一人ヒラリー卿が亡くなった時、ニュージーランド領事館が記帳を受け付けました。
その時、カトマンズで暮らし始めていた私は、こんなチャンスはない、と思い、
領事館へ出かけて、「エヴェレストとともに、ヒラリーの名は永遠に」と、日本語で書きました。
最初のエヴェレスト登頂者と、思わぬ接点を持てたことを幸せと思いました。
ネパール人女性の、エヴェレスト初登頂者は、パサン・ラム・シェルパです。
彼女を称える銅像ができています。

Chabahill(チャーベル)からボウダナートへ行く道の途中に立っています。
ボウダナートへ行くたびに、私は、銅像の彼女を見ています。
新聞に女性初登頂から50年経ったという記事のタイトルを見て、今日のブログになりました。
2026年5月15日(ネパール暦2083年2月ジェト月1日)金曜日

ネパールは、1月が終わり、今日から2番目の月ジェトが始まりました。
今年のジェト月は、日本の5月15日から6月14日までの31日間です。
乾季も終わりが近くなり、雨季が近づいています。
これを書く前に、私が書いてきたこれまでのジェト月の天気を見たのですが、
天気が良くない、雨が降るなど、どうも、今年と似たような天気だったようなのです。
私はすっかり忘れているのに、その時に私が書いているのだから、そんな天気だったのだろう・・・
今月のネパールの休日は、土曜日の5日のほかに1日あります。
ジェト月は毎年ですが、紙面が地味な月です。
強い太陽が待たれます。
2026年5月14日(ネパール暦2083年1月ボイサク月31日)木曜日
目の前の、向かいの家での7日間のプジャ(宗教儀式)が終わり、ほっとしています。
ヒンドゥ教徒のプジャで、私にはその意味や目的など分かっていないのですが、
とにかく終わってほっと・・・しています。
朝から始まるプジャですが、初日7時前のいきなりの大きな音に驚き、頭、壊れそう!となりました。
プジャをすることを近所の人へも話して、来てください、と言ってあるそうで、
朝から神様への捧げものを持った人たちが訪れます。
女性たちは、赤いサリーを身に着けています。
何人かでの赤いサリー姿は、赤の色がとてもきれいで着ている女性たちを輝いて見せています。
朝から夜まで続くお坊さんの説教と唄や音楽、
ネパールではこの時の音の大きさが半端ではありません。
その場に集まっている人たちはもちろん、できるだけ多くの人に聞こえるように、
との思いからなのでは、と私は勝手に考えていますが、
どんなに尊い話でも、こんなに大きな音でなくても、と私は思うのですが、
ネパールではそんな思いは通じないようで、
スピーカーからは最大限のボリュームではないかと思われる音量が飛び出しています。
それが、朝から夜まで続きます。
お坊さんの食事時だけは音の大きさは押さえているようですが、
その分、参加者のおしゃべりがありますので、私にとっては、休める時間はありません。
夜は9時ごろ終了していたのが日ごとに延び、最終日の昨夜は、11時まで歌と踊りが終わりませんでした。
最大限の大きさで、しかも、朝から夜まで鳴り響くのは、
私はそれに対する習慣がなく、しかも、耳には入るが、聞きたい音ではないときは、これほど苦痛なことはありません。
朝も、昼間も、夜になっても、聞きたくない音が耳に入ってくることほど、苦痛はないと、改めて思いました。
ネパールの人たちは、神様への祈りを大切にしています。
神様に関する行事を喜び、神様の前で手を合わせます。
一方、歌や音楽に合わせて踊るのが好きな人たちです。
今回のプジャでも、毎日、その日を歌と踊りで締めくくっていました。
その時だけは、参加者は神様の前で踊ることに集中しています。
ことによると、ヒンドゥ教の神様たちは、こうした場面がお好きなのかもしれないですね。
あれだけ踊りまくっていれば、当分の間はすっきりした気分で、暮らせるのでは、などと思っていました。
今朝はキッチンの仕事をしていた人たちが、早くから片付けの仕事をしています。
フォークなどがぶつかって立てる音が聞こえています。
・・・これで、私は、家を逃げ出さなくてもよくなりました。
普通の暮らしに戻れるようです。
今回は、7日間のプジャでしたが、1ヵ月続くプジャもあるそうで・・・
そうなったら、私、壊れてしまいます!!
2026年5月13日(ネパール暦2083年1月ボイサク月30日)水曜日
2026年5月12日(ネパール暦2083年1月ボイサク月29日)火曜日
スワヤンブナート寺院は、ネパール最古の仏教寺院と言われています。

カトマンズを囲むリングロードをバスで行き、バス停からは歩いて行けます。
丘の上に立っている寺院なので、離れたところから見ることができます。
私、何年振りかで行ってきました。
これまでは車やタクシーを使ったので、高い所と分かっていても、体で実感することはありませんでした。
今回のスワヤンブナート寺院は、体で感じる時間になりました。
リングロードに3体の金色の仏像を見たら、そこがスワヤンブナートへ行く道の始まりです。

若い男性のカフェに寄って一息入れ、砂糖の入ったブラックティーを飲んで、体にエネルギーを入れました。
そして、スワヤンブナートの仏塔を目指しました。
カフェの男性は、10分15分で着きますよ、と言ったのですが、
露店の並ぶ上り路をゆっくり歩き、仏塔に着いたのは、たぶん、30分後だったのでは・・・

以前来た時と変わってないと思う光景がありました。
仏塔にはタルチョがはためいていました。

面積的には、小さいのですが、ボウダナートとは異なる雰囲気があります。
スワヤンブナートが世界遺産であると書かれたプレートのそばには、

入場券販売所があり、「私、カトマンズに住んでるんだけど」と言ったら、「住んでるの?住んでる人は入場料は要らないよ」と言ってくれたので、
「ありがとう!」と少し大きめの声でお礼を言いました。
『参考までに、外国人は200ルピー(ほぼ200日本円)です』
スワヤンブナートからは、カトマンズの街が見られます。
私が行った日は、天気の関係で空や遠くの景色がぼんやりしていて、残念でした。

カトマンズは、家々や建物で埋まっていました。
高さのある建物が増えています。
高いといっても、空を突くような高さのものはありませんが、それでも、以前よりはぐんと増えています。
ネパールではアパートメントと言っている建物が多くなっています。
カトマンズも、地方からカトマンズへやってくる人々の家を作る土地が少なくなっているようです。
(下手な写真ですみません・・・)
ここスワヤンブナートでは「カジャ」(米を食べないおやつ)で、
モモ(ネパールの餃子)、チャウミン(焼きそば)、トゥクパ(スープ麺)などが食べられます。
足に余力がなかったので、坂道を転げ落ちないように、と帰りはタクシーを利用しました。
運転手たちとの料金の駆け引きでは、私、少し甘かったみたい・・・
遠くで見ているだけが多かったスワヤンブナートでしたが、今回思い切って上りました。
行ってよかったです。
また行く日があるのでは、とボウダナートだけではなく、こちらにも足を伸ばしてみよう、と思っています。
2026年5月11日(ネパール暦2083年1月ボイサク月28日)月曜日
2026年5月10日(ネパール暦2083年1月ボイサク月27日)日曜日
2026年5月9日(ネパール暦2083年1月ボイサク月26日)土曜日
(休日)
2026年5月8日(ネパール暦2083年1月ボイサク月25日)金曜日
ネパールのお金の中に、硬貨もあります。
1ルピーと2ルピーです。
スーパーでの経験にこんなことがあります。
買い物の合計が198ルピーで、200ルピーを渡すと、おつりに飴玉が一つまたは二つきます。
1,2ルピーの硬貨がないんだろう・・・と思うので、
お釣りが飴玉であることに文句はないのですが、残念なことに私が食べたい飴ではない、のです。
で、財布になるべく硬貨を入れておくようにしてはいますが、
忘れることもあって、飴玉が渡されることもあります。
そうした時は、会計の女の子にプレゼント?して帰ります。
硬貨にまつわるもう一つ、
どのレストランでも、お釣りの4ルピー以下の端数をもらったことがありません、と言ってもいいでしょう。
レストランの人になぜなの?と訊ねたことはありませんが、
今度聞いてみようかな・・・
***
ほとんど曇り、午後は雨だそうです。
天気、壊れちゃった・・・
2026年5月7日(ネパール暦2083年1月ボイサク月24日)木曜日
昨日、一昨日と久しぶりにさっぱりした空でしたが、
今日は朝から寒そうな色をしています。
もっとも、今は朝の7時半ですから、この後9時頃には、当たり前のように太陽が出てくるのでは、と期待しています。
向かいの家で昨日から一週間のプジャ(宗教儀式)が始まり、
7時前からお坊さんが祈る声がマイクを通して聞こえています。
手伝いの、今は主にお勝手の仕事をする人たちが大きな圧力鍋をガスコンロにかけ、
シュッシュッと勢いよく蒸気が出ています。
昨日の様子を見ていると、やってくる人たちの出足は早く、
女性はほとんどの人が、赤いサリーを着ています。
何人もの女性の赤いサリー、は、いいですよ。
昨夜は、夕方になってやってくる人もあって、暗くなっても人の話し声がしていました。
こんな時は、やはり、いい天気であってほしいもので・・・
すぐそこの山のてっぺんは、霞んでいますが、いいプジャ日和になりますように。

(雰囲気だけでも、と思うのですが、わかりにくいですね。赤い幕の奥にはお坊さんと女性たちがいて、儀式をしているようです。)
2026年5月6日(ネパール暦2083年1月ボイサク月23日)水曜日
今、カトマンズで見られる花は、「ジャカランダ」です。

(カトマンズ中心部のジャカランダの花。歩道橋の上から撮りました。空の雲が残念です)
紫色の花で、木は大きいです。
家のそばにあったり、街の中で何本もまとまって咲いていたりしています。
先日から、もうすぐジャカランダの花、咲きそう・・・と思っていました。
その時は、開いている花は少なく、華やかさはありませんでしたが、
あと何日かで開き揃う・・・と思わせました。
先日、バスの窓から見たジャカランダの花、開いていました。
ああ、この季節になった・・・と思いました。
カトマンズの中心部で見るジャカランダの花は、以前より少なくなりましたが、この花の並木が残っている所があります。
王宮前の通りです。
2,3日前は、まだ咲き具合が寂しかったですが、今は、たぶん、咲き揃ったのではないかと。
道路の片側だけですが,木が並んでいるので、咲き揃えばいい風景になります。
街中のジャカランダの木が少なくなり、寂しい思いはしていますが、
咲き揃ったジャカランダが、青い空に映える様は、それは見事です。
カトマンズで咲きほこるジャカランダの花、
私にとって、季節の花になりました。
2026年5月5日(ネパール暦2083年1月ボイサク月22日)火曜日
私がよく行く中央郵便局をご紹介します。
地震前は、カトマンズの中心地ダラハラにありました。
そこでカトマンズのシンボルであったタワーが、地震で崩れ、そこの再開発で、近くにあった郵便局にも影響が及びました。
引っ越ししたのです。
以前の郵便局は、私にとっては都合がよく、私のところから乗り換えなしのバスひとつで、
片道40分前後でいくことができたのですが、
今の郵便局は、そういった意味では、不便になったのです。
バスで街まで行き、そこでタクシーに乗り換えるのです。
とても歩ける距離ではないし・・・
ですから、どうしても足が遠のき、以前の郵便局のように毎日でも行けちゃう!とはなりません。
引っ越してからは、年に3~4回行けばいいほうでした。
でも、今年はこれまでと違っています。
昨日ですでに4回目、です。
自分でもびっくり!
でも、自然に足が向くのだから・・・いいのでしょう。
私は、この中央郵便局に私書箱を持っていて、私宛、というかこの私署箱の番号が書いてある郵便物はこのボックスに入れられ、
受け取りに来る私を待つのです。
ここでは、郵便局に郵便物が届いた日付のスタンプを押してくれるので、
郵便局に届いた日、日本からの日数が分かります。
***
写真は、私書箱が並ぶ様子と、郵便局の外観です。

私書箱は広いフロアにびっしりと並んでいます。写真は、それのほんの一部、です。
私書箱の小さなドアを開けて、中に手紙があるか確かめ、あればそれを持って帰ります。
利用料は、1年間で750ルピー(およそ750円)です。
外観の写真ですが、「GENERAL POST OFFICE」と書かれています。

カトマンズに届いた郵便物は、ここで整理されます。
各国に送られる郵便物の袋の山を見るのも、この中央郵便局でです。
日本の友との手紙のやり取りが嬉しい私にとっては、郵便局は私たちを取り次いでくれる欠かせないオフィスです。
2026年5月4日(ネパール暦2083年1月ボイサク月21日)月曜日
2026年5月3日(ネパール暦2083年1月ボイサク月20日)日曜日
天気が壊れているカトマンズです。
朝ははっきりしなくて、その後は、太陽が出そうな気配を見せますが、午後からは雲が広がり、
実際に雨が降る日もあります。
薄いセーターを着る人や、ジャケットを羽織って冬の雰囲気に戻る人がいる一方で、
昼間は半袖の人もいて、落ち着かない日々です。
そういう私は、昨夜はひざ掛けを使いました。
買ったばかりの扇風機の出番はありません。
いつもの、拭いても拭いても流れる汗・・・の私ですが、今年はそうした日もなく、
いえ、今年も歩いて汗を拭く日もあったのですが、これまでとは違います。
どうしちゃったんだろう・・・
ネパールでは新年が始まったばかりですが、今年の天気が心配になります・・・
2026年5月2日(ネパール暦2083年1月ボイサク月19日)土曜日
(休日)
2026年5月1日(ネパール暦2083年1月ボイサク月18日)金曜日
今日は、ネパールは「ブッダ・ジャヤンティ(釈迦誕生日)」で、休日です。
なぜ、今日なのかというと、
ボイサク(4月中旬から5月中旬までの1ヵ月)の満月の日が
釈迦の誕生日になっているからです。
カトマンズにある仏教寺院のスワヤンブナートやボウダナート、
もちろん釈迦生誕の地ルンビニでは、大きな祝いが行われます。
私がよく行くボウダでも、きっと人出が多く、5色の祈祷旗を掲げる仕事の人たちも、
今日は一日忙しいことでしょう。
私の思い違いでなければ、今年は2570回の釈迦誕生日になります。
休日です。
(下の写真は、上から順に、スワヤンブナート、ボウダナート、朝靄の中のルンビニ マーヤ聖堂)



今日は、ネパールでは休日が重なっています。
メーデーの休日でもあります。
今日、明日の2連休になります。
天気はどうなのでしょう。
いい天気であってほしいのですが。
2026年4月29日(ネパール暦2083年1月ボイサク月16日)水曜日
| 笑い話 「ブジャ(食事)」と「カジャ(軽食)」 A「私たち、ブジャを食べないと、死んじゃうよね」 B「そんなことないさ」 A「どうして?」 B「だって、カジャを食べるもの」 |
笑っていただけましたか?・・・ では、【解説】
ネパールの食事は、1日2回で、ブジャといいます。このほかに、ネパール人は朝起きてチヤ(ミルクティー)と一緒に、パンやドーナツ、ビスケット、コーンフレーク等々を食べます。これをネパールでは、カジャといいます。商店主などは朝の食事が11時や12時になりますが、お腹空かないの?と聞けば、カジャを食べたから大丈夫、と答えます。午後は、適当な時間にインスタントラーメンやパスタ、じゃがいもなどのカジャを食べます。そして、夕方のブジャ。ネパールでは、米のご飯を食べるのがブジャと考えていますので、その他のものをいくら食べてもブジャにはなりません。従って、このような笑い話になるわけです。インドと共通の笑い話だとか。
下の写真は、「地球の歩き方」のものを使わせていただきました。基本的なネパールの食事セットが分かります。
(家庭で作る食事は、もっと質素です)

これは、私の友人の家で、私に作ってくれたものです。ご飯の量が少ないのは、私が山のようなご飯を食べないことを知っているからです。

2026年4月14日(ネパール暦2083年1月ボイサク月1日)火曜日
ネパールは、今日、暦のすべてが替わりました。
2083年の新年を迎えました。
カッコ書きの中身を書き換えました。
昨年の暦をはずして、始まったばかりの暦にかけ替えました。
「ナヤン バルサコ スバ カマナチャ」が、ネパールの新年の挨拶です。
言葉の並びは、日本語と同じですので、
頭から読むと、「新年(ナヤン バルサコ)おめでとうございます(スバ カマナチャ)」となります。
よい年であってほしいと、心から願います。
今年のボイサク月は、日本の今日4月14日から5月14日までの31日です。
元旦の今日は、休日で、暦の文字が赤くなっています。
挿絵もありますが、毎年同じ絵が使われるので、私にも一目でわかります。
でも、この絵、毎年見ていますが、どうしても新年の色に見えなくて、毎年、悩んでいます。
ネパールは、土曜日のみが週1回の休日ですから、もちろん、赤で書かれています。
日曜日は、赤ではありませんので、休日ではありません。
釈迦誕生日が赤い字で休日です。
日本式の日取りとは違います。
釈迦誕生日には、よく見るとプルニマと書かれた満月の印がありますが、
ボイサク(4月から5月)の満月の日が誕生日になっているからです。
この日は、メーデーで、ネパールでは休日なのですが、今年は、釈迦誕生日と重なっています。
こうして、ネパールの新年が始まりました。

2026年4月13日(ネパール暦2082年12月チャイト月30日)月曜日
今日は、ネパール12番目の月チャイト最後の日であると同時に、
ネパール2082年最後の日でもあります。
つまり、日本の2025年4月14日に始まったネパールの暦2082年の1年が終わる日です。
ネパールは、今日が大晦日、そして、明日、新年を迎えるわけです。
ネパールの新年は、毎年決まった日に始まるのではなく、4月半ばに始まり、次の年の4月半ばに終わります。
月の動きに基づいての暦なので、同じ行事が、毎年同じ日に行われず、1か月くらいの差で行われることも多いです。
新しい暦を見るとき、毎月の暦をめくりながら、
今年のダサインははやいね、遅いね、という風に話題になります。
新年を迎えるネパールの人たちですが、
暮だ、新年だ、という切り替えはないようです。
というのは、私が子供の頃から経験していた年末の大掃除、なんてやりませんし、
ネパール人の買い物広場が人たちでごった返した、という新聞の写真を見ることもありません。
そうした場面が新聞に載るのは、ダサインなどの大きな祭りに限られます。
時々、家じゅうのものと思われるカーテンが何枚も洗って、干された光景を見ることはありますが、
それが意識してやったことなのか、偶然なのか・・・私にはわかりません。
ともあれ、今日が大晦日で、明日が新年であることは間違いありません。
明日には、改まった場面が見られるかもしれません。
ともかく、朝の10時を過ぎたネパールの2082年の365日最後の日です。
2026年4月2日(ネパール暦2082年12月チャイト月19日)木曜日
ネパールでは、ネパール独自のものと日本と同じものの2つの暦が使われていますが、
日にちの呼び方が使い分けられています。
ネパール式のものには「ガテ」が、日本式には「タリック」が付きます。
例えばそれぞれの暦の「ついたち」をいうには、
1を表す「エック」の後に、「エック ガテ」「エック タリック」となるので、
こんがらがることはありません。
そのことについて、下の写真をご覧ください。

これは、今月のネパールの暦の一部です。
大きな字で書かれているのがネパールの暦で、書かれているのはネパールの数字です。
上から3行目が今週です。
そして、日曜から始まる今週の5日目。これが今日です。
ネパール歴のチャイト月19日(ガテ)、日本の4月2日(タリック)になります。
各マスの右下に書かれているのが、日本のカレンダーの日付ですが、
「2」と書いてあり、4月2日であるということです。
ネパールでは、このどちらを使用してもいいのは、銀行です。
私は、使い慣れた西洋式を、当たり前のように使っています。間違えませんからね。
人たちの頭にあるのは、当然のことながら、ネパール式の暦です。
季節の話や種まきの話も、ネパールの月の名前が次々に出てくるので、こんがらがってしまいます。
「寒い時の話ね」や「暖かくなり始めたころのことですね」などと言って、
自分で理解できるいい方に直して確かめることが多いです。
2026年3月29日(ネパール暦2082年11月チャイト月15日)日曜日
しばらくの間、お休みしました。ホームページを少し変えました。今回は、「きょうのネパール」に写真を載せられるようにしたかったので、私のコンピューターに関することすべての面倒を見てくれている人にお願いをしました。1週間はホームページを開けませんよ、と言われ、「きょうのネパール」を休むことにしました。10日経っても画面が変わらないので、彼に言いましたら、「あっ、忘れてた!教えてくれてありがとう」の、びっくりするような返事。そこからまた1週間近く、やはり仕事にとりかかっているようには見えませんでした。コンピューターに関するあらゆる仕事をしてるから、ま、待ちましょう・・・そして、10日ほど経って、仕事の具合を聞いたら、「できたよ」の返事をもらえ、こうして、彼に使い方を教えてもらって、今、ドキドキしながら今日のページを書いているところです。「少しずつ慣れればいいよ。わからないときは電話をください」の彼の言葉に励まされています。